もちろん、「認知」が“普通の人”と違うからといって、必ずしも病気というわけではない。天才的な作家や芸術家の中には、「認知」が“普通の人”とかなりずれている人が少なくなく、このずれが優れた作品を生み出す原動力になりうる。
また、“普通の人”というのは、通常その社会で大多数を占める人であり、そういう人の「認知」を基準にすると、どういう「認知」が適切なのかを多数決で決めることになりかねない。だから、さまざまな「認知」があってしかるべきであり、「認知」の多様性を認めるべきだとは思う。
ただ、一般社会で組織の中で生きていくには、「認知」が他人とあまりにもずれていると、困ったことになる。だから、通常は、自分の「認知」にもとづいて外部に発信した言動が他人からどう受け止められるか、どう見られるかを気にしながら、徐々に微調整していく。これを「フィードバック ( feedback )」と呼ぶ。
われわれは、周囲の反応を見ながら、自分自身の言動に「フィードバック 」をかけている。ところが、小室さんの場合、この「フィードバック」機能がうまく作動していないように見える。だから、「認知」のずれを修正できず、「一体、何を考えているのか」と国民がいぶかるような反応をするのではないか。
もしかしたら、自分自身の「認知」のずれに薄々気づいてはいたものの、修正する必要はないと思っていたのかもしれない。あるいは、「認知」のずれに気づいた人が周囲にいなかったわけではないが、「ずれている人に何を言っても無駄」とあきらめて、何も言わなくなったのかもしれない。
「認知」のずれがあっても、これまでは何とかやってこられたのかもしれない。だが、天皇陛下の初孫と結婚するには、母親の元婚約者だけでなく国民の理解も得なければならない。そのためには、「認知」のずれに気づいて修正しなければ前途多難だなあと思う次第である。
(文=片田珠美/精神科医)