旧優生保護法(1948~96年)下で約2万5000人もの障害者らに対し不妊手術が行われていた問題は昨年、日本社会に大きな衝撃を与えた。社会問題化を受け、与野党は2018年12月に救済法の基本方針案をまとめた。本人の請求に基づき、厚生労働省が被害認定した人に一時金を支給するとの内容だ。今年の通常国会での成立を目指す。
これまで差別や偏見を恐れ被害を訴え出られなかった人々が、勇気を出して国を相手に裁判を起こした成果である。メディアによる報道も社会の関心を呼び起こした。
しかし、どのメディアも踏み込みが足りないと感じられることがある。それは、強制不妊という非人道的な行為をもたらした根本的な原因の究明である。いや、報道のところどころで遠慮がちに触れられてはいるものの、はっきり名指しすることをためらっているようにみえる。
強制不妊をもたらした「犯人」とは、福祉国家である。強制不妊に代表される優生政策(悪性の遺伝的素質を淘汰し改善を図る政策)というと、ナチスドイツとその指導者ヒトラーを思い浮かべる人が多いだろう。また、優生政策は戦争に向けた富国強兵策の一種だと考える人も少なくない。そうした先入観からは、社会福祉の充実を目指し、ナチスとは正反対に人道的だと思われている福祉国家が強制不妊をもたらしたなどという指摘は、とんでもない暴論に聞こえるに違いない。
しかし優生政策をヒトラーやナチスだけに結びつけると、歴史の重要な事実を見落とし、問題の本質が見えなくなる。
ワイマール憲法が生んだ不幸
優生政策を理論的に支える優生学は20世紀の幕開けとともに、進化論発祥の地である英国から欧米に広まった。そのなかで、ドイツではナチス以前のワイマール共和国の時代に、優生政策の素地が徐々に形成されていった。北欧のデンマークではナチスドイツよりも早く、強制不妊手術を認める断種法が制定され、スウェーデンでも1930年代以降、実質強制といえる不妊手術が実施されていた(『優生学と人間社会』)。
ワイマール期のドイツと30年代以降の北欧に共通するのは、福祉国家の形成ということである。詳しく見てみよう。
ワイマール共和国とは1919年、ドイツが第1次世界大戦に敗れた直後の革命的な状況のなかで、社会民主党を指導勢力として成立した共和国ドイツの通称。ワイマール憲法と呼ばれる同国の憲法は人民主権、男女普通選挙制の導入のほか、労働者の権利保障などを規定し、現代福祉国家の原型を提示したといわれる。