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江川紹子の「事件ウオッチ」第121回

【松橋事件再審無罪へ】目に余る検察の“引き延ばし戦略”…冤罪救済のために再審制度の見直しを

文=江川紹子/ジャーナリスト
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【松橋事件再審無罪へ】目に余る検察の“引き延ばし戦略”…冤罪救済のために再審制度の見直しをの画像1松橋事件の再審公判に向けて、検察、裁判所との3者協議を続けてきた弁護団(写真:読売新聞/アフロ)

「あと2年早ければ、この場にいたのはずっと父を支えた兄だった。さらに2年早ければ、おやじも裁判を理解できたはずだ。検察には一言でも謝ってほしかった」

 1985(昭和60)年1月に熊本県松橋町(現・宇城市)で1人暮らしの男性が殺害された松橋事件で、殺人罪などで懲役13年が確定し、服役した宮田浩喜(こうき)さん(85)の再審が、熊本地裁で始まった。この言葉は、閉廷後の記者会見で宮田さんの次男・賢浩(まさひろ)さんが語ったものだ。

郵便不正事件で冤罪作りに加担した検事が抗告審を担当

 宮田さん本人は認知症で寝たきりで出廷できず、宮田さんを支えていた長男・貴浩さんは病気で1年半前に亡くなった。賢浩さんは、兄のジャケットなど遺品を身に着けて裁判を傍聴した。

 冤罪をつくった責任の一端は検察にある。ならば、有罪判決とは明らかに矛盾する事実が判明した時には、判決を正すことに協力すべきだろう。ところが検察は、再審が開かれることに抗い続けた。そのために失われた時間は取り戻せない。この無念と憤りが、賢浩さんの冒頭の発言に凝縮されている。

 本件で、宮田さんと事件を結びつける証拠は、捜査段階の自白調書しかない。それも、関与を否定する宮田さんを、捜査員がポリグラフ検査の結果を突きつけるなどして執拗に問い詰め、精神的に追い詰められた末につくられたものだった。宮田さんは裁判で無実を訴えたが認められなかった。最高裁まで争ったが有罪が確定して服役。1999年3月に仮出所した。

 2012年3月、認知症の宮田さんに代わり、成年後見人の弁護士が再審請求を行った。その後、宮田さんの年齢を考え、長男・貴浩さんも再審請求に加わった。法律上、本人が亡くなったり心神喪失状態に陥っても、配偶者、直系親族、兄弟姉妹が再審請求を起こすことができる。

 この事件では、有罪判決確定後、自白とは決定的に矛盾する証拠が見つかっている。再審請求審には、被害者の遺体の傷は自白で述べられた小刀でできたものではない、とする法医学鑑定も提出された。もはや、誰の目にも無罪は明らかと言える状況だった。

 ところが、検察側は争い、熊本地裁の再審請求審は4年余りを要した。それでも、2016年6月の同地裁再審開始決定を検察側が受け入れていれば、長男・貴浩さんは再審の法廷に立ち合い、自身の目と耳で父親の無罪判決を確認できただろう。

 しかし検察側は、この決定に即時抗告(=異議申立)を行い、事件は福岡高裁に移された。驚くことに福岡高検は、厚生労働省局長だった村木厚子さんを巻き込んだ郵便不正事件で冤罪をつくるキーマンとなった國井弘樹検事に、この再審請求審を担当させた。國井検事は、同省係長に虚偽の供述を強いたうえ、郵便不正事件の主任検事による証拠改ざんを知りながら放置していた。このため、減給や戒告などの処分を受け、捜査・公判の現場を離れていた。それが、村木さんに対する謝罪もないまま、いつの間にか現場に復帰していたのだ。

 冤罪をつくった張本人に、別事件で無実を訴える人の雪冤を阻止する役割を与えた検察組織には、「道義」という観念はないのだろうか。

 この抗告審最中の17年9月、貴浩さんは病死した。その2カ月後の17年11月、同高裁は検察側の即時抗告を退け、再審開始を支持する決定をした。弁護団や支援者らは、宮田さんの年齢と健康状態を考慮するようにと要請したが、検察側はそれを無視して最高裁への特別抗告を行った。特別抗告が認められるのは、高裁の判断に憲法違反、判例違反があった場合のみで、本事件での検察側特別抗告が認められるはずもなかった。

 それにもかかわらず特別抗告をしたのは、そうやって引き延ばしている間に、寝たきりとなった老人の命が尽きて再審が開かれずに済む状況を期待していたのではないか。

 再審で検察側は、確定審と再審請求審に出された200点の証拠をすべて調べるよう請求した(裁判所は宮田さんの自白調書や凶器とされた小刀など142点の採用を認めなかった)。この段階でも、捜査や原審の誤りを認めようとしなかったのだ。ただし、論告で検察側は「裁判所の適切な判断を求める」と述べ、求刑を放棄した。自白に頼らなければ、有罪の主張も展開できないことが明らかだった。それでも、最後まで早期の冤罪救済に協力しない。そうした検察の姿勢があらわになった。

冤罪救済より組織の面子の“引き延ばし戦略”

 本件だけではない。

 鹿児島の「大崎事件」でも、検察側の“引き延ばし戦略”は目に余る。これは、1979年10月、鹿児島県大崎町の農家の牛小屋堆肥置き場で、家主の男性の遺体が見つかった事件。殺人罪などで有罪となり10年服役した原口アヤ子さん(91)が、無実を訴えている。2015年7月に原口さんが起こした第3次再審請求で、鹿児島地裁は17年6月に再審開始を決定。検察側が即時抗告したが、福岡高裁宮崎支部は18年3月に再び再審開始を決定した。

 この再審請求審の過程で、原口さんが男性の死に関わっていないばかりか、本件は殺人事件ではなかった可能性も高まっている。解剖を行った法医学者は、遺体の首の内部に「組織間出血」が見られることから、死因を「頚部圧迫による窒息死」と鑑定。これを根拠に、男性は首を絞められて殺害された、と認定された。しかし、この法医学者は、後に見解を変えている。

 実は男性は、遺体で発見される3日前、道路脇の用水路に自転車と共に倒れ込んで意識のない状態でいるところを、通りがかった近所の人に見つけられ、軽トラックで自宅まで運ばれている。その後の行方はわからず、3日後に遺体で見つかった。この間に義姉の原口さんら家族が絞殺した、というのが有罪判決の見立てだ。解剖した法医学者は、倒れていた男性が救助された経緯を知らされないまま、死因の判定を行っていた。この解剖医は後に、男性が事故にあった可能性があると知って、頚部の組織間出血は、首絞めではなく、首の「過伸展(むち打ち症などのような力が加わること)」によるものと修正したのだ。

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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