ファーストレディの行動確認をするということは、過去にも聞いたことがないですし、普通では考えられません。大臣、あるいは選挙の立候補者を決める時に、身体検査というのはつきものですけど、普通は書類審査とか聞き取りくらいで、尾行まではしません。ただ彼女の場合、いろんなパーティに顔を出したり、大麻解禁論を口にしたり、原子力発電所輸出への異論を唱えたりして、自ら『家庭内野党』だと言ったくらいですから、なんらかのかたちでチェックしないとヤバいと思ったとしても不思議ではないですね。そもそも秘書官がついただけでも異例なことですから。彼女の場合、例外中の例外でしょう」
野党の幹事長候補だった女性議員が、週刊誌に不倫を暴かれ離党を余儀なくされたという件も、官邸ポリスがキャッチして週刊誌にリークしたと書かれている。モデルはもちろん、民進党の幹事長に内定していた山尾志桜里衆院議員。実際に2017年、不倫の事実は写真とともに「週刊文春」(文藝春秋)で報じられて離党した。政治とは関係ない芸能人の不倫をスクープして“文春砲”と恐れられ、張り込みや尾行のスキルは高いはず。独自取材の成果ではないのだろうか。
「政党が、対立する政党の議員のスキャンダルを炙りだしてマスコミにリークしたという例は、聞いたことがあります。政府がそこまでやるかなと思いますけど、やってもおかしくないでしょう」
官僚の行動確認、身体検査
加計学園の獣医学部新設について、学園理事長と安倍首相が「お友達」だから行われた岩盤規制改革なのではないかと疑惑が渦巻いていた2017年5月。「総理のご意向」等と記された文部科学省の文書を明らかにした、前川喜平前文部科学省事務次官も別の名で登場する。
前川氏が文科省在職中の15年頃から新宿・歌舞伎町の出会い系バーに通っていたことが、読売新聞で報じられたのは事実だ。買春の温床ともいわれる出会い系バーに通っていた理由を「貧困女性の売春の実態を知りたかった」と会見で語った。前川氏の出会い系バー通いも、官邸ポリスの依頼により、探偵・調査会社が掴んだものと書かれている。
「官僚に行動確認をかけることはそんなにはないと思いますけど、あいつどうなんだ、っていう時には身体検査はします。政治主導ということで、局長クラスの人事は内閣人事局でやるようになっていて、政府の任命責任が問われるようになったので、昔と比べて身体検査はそこそこやっているはずです」
18年の総裁選から国民の目を逸らすために、日本大学アメフト部の反則タックル問題やスポーツ界でのパワハラ問題を、官邸ポリスは次々と表面化したと書かれている。
「そのあたりは若干違和感を感じるところではあります。ただ、警察にはあらゆるところから情報が集まっています。別のネタを流して目を逸らしたりっていうのは、芸能界もやってるし、ほかのネタで盛り上がるであろう時期に企業が不祥事の説明会見をやるとか、そういうことはどこでもやっていることですから、あり得ることでしょう。
あれだけ連チャンで不祥事が出てくるっていうところには、何かしら作為を感じます。政権としても、世耕弘成さんあたりを広報担当にして、対立候補となった石破茂さんをあんまりテレビに出ないようにしていたと聞いてますから。攻めているほうが恰好よく見えて応援が集まるということがあるので、2人で並んで出るようなことは避けたということはあるようです」
問題の収拾にも奔走
官邸ポリスのメンバーとして、総括審議官兼警備局の中村格氏をモデルとした人物も登場する。15年に、当時TBSの報道記者でワシントン支局長だった山口敬之氏からレイプされたとして、伊藤詩織さんが訴えて、高輪警察署の捜査の末、逮捕状が発行された。その執行の停止を命じたのが、当時、警視庁刑事部長だった中村氏である。山口氏は安倍首相と親しく、『総理』『暗闘』(ともに幻冬舎)など安倍首相を称える本を書いている。
「あそこだけは、説明しようがないですね。有名人だから逃走の恐れもなく、証拠隠滅の恐れもないから逮捕しないで任意で話を聞くという理屈だったら、最近、強制性交等の容疑で逮捕された俳優の新井浩文だって、逃げも隠れもしないだろうから逮捕しないでいいということになっちゃう。そういう理屈は逮捕状の請求前だったらありえますけど、逮捕状が発行されているのにその執行を停止するだけの理由にはなっていません。『我々の手で、私利私欲に走る政治家や官僚を排除していかなければならない』というのが官邸ポリスの出発点のはずなのに、そういう正義感から著しく逸脱している気がしますね」
中村氏にも取材した「週刊新潮」(新潮社)は17年、レイプの内実と逮捕状の執行停止を報じている。女性記者へのセクハラが18年4月に「週刊新潮」で報じられた、福田淳一元財務省事務次官の一件も名前を変えて登場するが、そこには事態を収拾しようと右往左往する官邸ポリスの様子が描かれている。
週刊誌に事実を暴かれ、時にはその報道にあたふたする官邸ポリスは、果たして恐るべき存在なのだろうかという感も抱く。だが、この本に書かれたことは、すでに報道されたことを小説に仕立てたのであって、それは氷山の一角にしかすぎないのかもしれない。ここ数年に起きた政治家や官僚をめぐる出来事を、記憶にとどめておくという意味で、意義ある1冊である。
(文=深笛義也/ライター)