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紺色の紙に金泥で書かれた後奈良天皇の般若心経は岩瀬文庫以外にも幾つか残っていますが、そのうちの一つの奥書(おくがき)には『私は民の父母として、徳を行き渡らせることができず、心を痛めている』旨の天皇の思いが記されておりました。災害や疫病の流行に対して、般若心経を写経して奉納された例は、平安時代に疫病の大流行があった折の嵯峨天皇を始め、鎌倉時代の後嵯峨天皇、伏見天皇、南北朝時代の北朝の後光厳天皇、室町時代の後花園天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、そして、今お話しした後奈良天皇などが挙げられます」
「私自身、こうした先人のなさりようを心にとどめ、国民を思い、国民のために祈るとともに、両陛下がまさになさっておられるように、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ、ということを続けていきたいと思います」
新天皇は、上皇陛下のご事績を継承し、さらに「民の父母」であることを自覚された歴代天皇のなさりようを心にとどめながら、「国民を思い、国民のために祈り、国民に常に寄り添い、人々と共に喜び、共に悲しむ」ことを自らの務めとして課されたのだ。
新天皇は「この身に負った重責を思うと粛然たる思いがします」とも述べられた。「重責」とは天皇の地位に就いたことだけをいうのではない。「歴代の天皇のなさりよう」に思いを馳せた上で、自らに課された務めの重さに粛然たる思いがされたのであろう。
新天皇の御代が安定した時代になることを予感させるものだった。
(文=八木秀次/麗澤大学教授)
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