「我が面の忘れむ時(しだ)は国はふり嶺(ね)に立つ雲を見つつ偲(しの)はせ」
(訳:私の顔を忘れそうなときは、国中にあふれて嶺に立ち上るあの雲を見て偲んでください)
遠路に旅立つ夫を送り出す妻の歌とみられる。もしかすると面影を忘れてしまうかもしれないほど、長期の別れが予想されている。これは多くの人々が防人に取られ夫婦の別離を強いられた、東国人の経験を示すものと思われる。
防人として徴兵されることに伴う家族との別離は、防人歌で多く歌われる。防人歌はおもに巻20に収録されている。防人は軍令上、家族の帯同が許されていたが、交通や医療の発達していない時代に、実際に危険を冒して遠い九州まで家族を連れて行く者は限られていた。
防人たちはまず国衙(地方の役所)に集まり、役人に率いられて都へ上り、難波から船で筑紫(福岡県)に赴いた。都までの費用は自分で工面しなければならない。任期は3年、それも往復の日数は含まれないし、任期はなかなか守られない。一生帰れないことも覚悟しなければならなかった。残された家族は生活に苦しんだ。
防人歌には、軍務の意気込みや使命感を宣言する勇ましいものもあるが、中心となるのは、家族との別離を悲しむ本音を吐露した歌である。
「わが妻はいたく恋ひらし飲む水に影(かご)さへ見えて世に忘られず」
(訳:故郷に残してきた妻は、ひどく自分を恋い焦がれているらしい。飲もうとする水の面にその姿がありありと見えて、どうしても忘れられない)
遠江国(静岡県)出身の防人の歌だ。妻だけでなく、子供や父母とも別れなければならない。
「行先(ゆこさき)に波なとゑらひ後(しるへ)には子をと妻をと置きてとも来ぬ」
(訳:行く先に波よ荒くうねるな、後方には子供と妻を残してきたのだ)
下総国(千葉県)の防人が歌った。
「水鳥の発(た)ちの急ぎに父母に物言(は)ず来にて今ぞ悔しき」
(訳:出発の際の慌しさに、父母にゆっくり話もせずに来てしまって、今になってまことに残念である)
万葉集全体では父母への思いを述べる歌は少ない。ところが防人歌では多くを占め、妻や恋人への歌とほぼ匹敵する。外からの力で家族と引き離されるとき、普段はそれほど意識しない親への情愛が強く湧き上がってくるのだろう。