7月29日に俳優の間瀬翔太氏が更新したブログが大きな話題を呼んでいた。彼は2019年に10万人に1人という難病「脳動静脈奇形」を患っていると公表しているが、ある日、タクシーに乗車し、乗車料金が割引になる障害者手帳を提示したところ、運転手に舌打ちをされたというのだ。
この告白を受け、運転手の行為を非難する声が多数あがったのだが、一方で「障害者割引の負担を運転手が負わねばならなかったからでは?」などといった声もみられた。
そこで、ユニバーサルデザインのソリューションを提供する株式会社ミライロ代表の垣内俊哉氏に、今回の問題の背景や、障害者手帳割引と民間企業の関係などについて話を聞いた。
充実したサービスが受けられる一方で、まだまだ改善点の残る障害者手帳
まずは、障害者手帳とそれによって受けられるサービスについて基本的な情報を整理しよう。
「障害者手帳は障害者が健常者と同等の生活を送れるよう、必要な援助を受けるための証明書で、内容に合わせていくつか種類があります。その歴史としては、1949年に傷痍軍人たちの保護と社会参加の促進を目指して身体障害者福祉法が定められたのが始まりで、この法で『身体障害者手帳』の交付が義務付けられました。これら障害者手帳を使えば、国や各自治体から医療や住宅のリフォーム、車いすなどの福祉機器の費用の一部補助、手話通訳の派遣や日常生活の介助といったサービスが受けられます」(垣内氏)
だが障害者手帳には解決しなければならない問題点も多くあるという。
「障害者手帳の種類は現状283種類もあり、対象者の居住地によって都道府県、政令指定都市、中核市とバラバラに発行されていることから、統一感を持った管理システムの構築が難しく、不正利用が横行しているのです。代表的な不正利用は手帳の偽造で、Photoshopなどの編集ソフトを使った偽造品を利用して、高速道路の料金の割引などに不正利用するといったケースが報告されています。
また、不正が横行する要因として、障害者手帳を提示される窓口担当者が、283種類の障害者手帳すべての詳細を把握することは事実上不可能ということもあるでしょう。つまり、利用者が『障害者手帳があります』といってそれらしきものを提示すれば、窓口担当者はそれを本物か偽物か判別する術がほぼないということです」(同)
個人事業主の場合、割引の負担がモロにのし掛かってしまうタクシー業界
そして、今回のタクシー運転手の舌打ち騒動の背景には根深い問題があるそうだ。
「先ほどお話しした国が主導している福祉サービスとは別に、鉄道運賃の割引や、今回話題になったタクシー運賃の割引など、民間企業が自主的に行なっている割引サービスというものがあります。これらの割引では、障害者本人とその介護者の利用料金が半額になったり、タクシーの場合は障害者手帳の提示で料金が1割引になったりするのです。ご存じなかった方も多いとは思いますが、公共交通機関の割引は民間企業が主導で行っているため、その割引分の金額は税金などで負担しているわけではないという背景があります」(同)
今回話題になったタクシーの例では、「割引額を運転手が負担しているのではないか」という指摘もあったが、これは本当なのか。
「2014年に改正タクシー特措法が施行されましたが、障害者手帳提示による料金の割引は民間企業の努力に委ねられています。ですが改正法のなかには、乗務員の負担をなくすという一文が明記されていますので、タクシー会社所属の運転手自身が料金を負担しなくてはいけないということは、まずないでしょう。ですが、個人タクシーの場合は運転手本人が事業者ですので、割引の負担をモロに受けるわけです。
もちろん、丁寧に対応されている個人タクシーがほとんどでしょうが、個人タクシーの場合は負担が直撃するため、乗車拒否につながったり、舌打ちのような非礼をしたりという事案が発生してしまうのではないでしょうか。また個人タクシーはクレームの影響が出にくいということも、こうした事例に拍車をかけているかもしれません」(同)
民間主導で障害者割引をしている現状だからこそ実現できる社会のあり方
障害者手帳提示による割引サービスのほとんどが民間企業の善意に基づくものだというのに、なぜ事業者と障害者の間に溝をつくる一因になってしまっているのだろうか。
「『同業他社が障害者割引やサービスをやっているのに自分のところだけやらないと世間の風当たりが強くなる』という気持ちから、本当は割引やサービスをしたくないのに導入しているという企業もあるからでしょう。そういった業界内での同調圧力のようなものが、こうした障害者へのサービスが充実してきた要因になっているので、一概に良い・悪いは決められません。ただ、舌打ちした運転手が個人タクシーだったとしたら、まさにそういう心理だった可能性は高いと思います。
また、サービス面だけでなく、事業者と障害者の間に溝をつくる要因は他にもあります。例えば2024年までに施行されることが決定している改正障害者差別解消法。この改正法のベースには、2006年に国連で『障害者への差別の禁止』と『障害者への合理的配慮の提供』という、2つを柱に採択された障害者権利条約があります。前者は入店・乗車拒否などの禁止。後者はバリアフリーなどの施策・設備に関してです。
それらは、2006年当時は事業者にとって金銭的負担が多いと反対の声があがり、努力義務に留められていました。ですが、今回の改正法で努力義務から法的義務になることが決定したのです。よって、そうした対応に企業が遅れを取った場合、障害者側からの民事起訴が増加するという懸念もあり、それがまた溝を深くしてしまう要因になってしまうかもしれません」(同)
改正障害者差別解消法でも障害者が全面的に満足できる環境は整わないが…
だが、垣内氏は民間企業が金銭的負担をして各種障害者サービスを行っている現状だからこそ、見えてくる社会のあり方もあると説く。
「改正障害者差別解消法の施行によって、すべての場面で障害者が満足できる環境が整うかというと、それは無理だと思います。だからこそ企業側は『不完全でも支援したい気持ちはあるので困ったら言ってください』という姿勢を見せ、障害者側も『対応がなっていない』と批判するのではなく、企業側の姿勢に歩み寄りを見せるということが、何よりも重要なのだと考えています。
事業者が、障害者へのサポートをビジネスとして捉える姿勢を強化し、昔と比べれば一定以上の所得を有するようになってきた障害者や介護者の消費行動につながるサービスを拡充していけば、事業者側、障害者側の双方にとって社会の最適解が見えてくるのではないでしょうか。
そして障害者と割引サービスを提供している民間企業が、互いに心地よく歩んでいくためには、デジタルトランスフォーメーションをもっと実践していくことなどが大切でしょう。例えば障害者手帳をスマホで提示できる『ミライロID』というアプリがあるのですが、こうしたアプリが不正利用されやすい紙の障害者手帳よりも浸透すれば、安全に企業のサービスが受けられるようになるはずです」(同)
今回のタクシー運転手舌打ち騒動から見えてきた、障害者支援社会の理想と現実。互いの事情を知りながら歩み寄ることで、目指すべきバリアフリーな社会にまた一歩近づけるのかもしれない。
(文=A4studio)