販売出身者はゴミのような扱い、無能な記者が牛耳る巨大新聞社
「太郎丸さんは相談役に退いて、経営は三杯さんに任せていますが、編集は太郎丸さんがすべて取り仕切っているという話です」
「国民の編集には、うちやおたくみたいにカスみたいなのは残っていないな。まあ、相乗効果になっているんだろう。でも、業界全体としてみれば、太郎丸さんもA級戦犯だぞ。いや、文字通りジャーナリストの資格がある人だけに罪は大都の松野弥介や日亜の村尾倫郎より重いぜ」
「僕もそれはわかっています。だから、今日は文句を言うつもりです」
●新聞業界のドン、登場
深井がこう言うと、部屋の引き戸が開いた。
「待たせてしもうて、悪かったのう、悪かったのう」
太郎丸は、身の丈が170cm近くあり、恰幅もいい。今年80歳になる年齢を考えると、大柄の部類に入る。その太郎丸が仲居の案内で入ってきたのは午後6時10分過ぎだった。
どかどかとせわしない感じで、窓に向かって右手の席についている吉須と深井に笑顔で声を掛けると、左手の席にどっかり腰を下ろした。そして、腕時計を見ながら続けた。
「わしが呼んじょるのに、遅れよってすまん。大分、待たせよったかな」
「僕らも6時少し前ですから、10分かそこいらです。気にされなくて結構です」
吉須が答えると、太郎丸は安心したようで、案内してきた仲居に向かって声をかけた。
「そうか。それじゃあ、すぐに始めてもらうぞ。3人とも最初は生ビールじゃ」
「かしこまりました」
「おい、酒を勝手に頼んじゃが、お主らの好みを取材しちょるんじゃ。吉須君は何でもOK、深井君はビールしか飲まん、それでええんじゃな?」
巷間、“新聞業界のドン”と喧伝されている太郎丸だが、豪放磊落なだけではない。意外にきめ細かい心配りをする繊細な側面もある。
「それで結構です。僕は、いつも最初はビール、そのあとはなんでも飲みますので、今日は会長にお付き合いします。こいつはとにかく、ビールしか飲みませんから」
太郎丸の問いかけに、吉須がすばやく反応し、脇の深井を見て笑った。
「僕だって、焼酎やウィスキーの水割りは飲みますよ。でも、日本酒は駄目なんです…」
「深井君、わかっちょる。お主はビールを飲めばええぞ。今日は肌寒いけん、わしは熱燗を飲むぞ。吉須君、付きおうてくれよるな」
「わかりました。熱燗、会長に付き合いますよ」
引き戸が開き、2人の仲居が入ってきた。生ビールと先付けを持ってきた。
「ここの懐石料理はうまいんじゃぞ。わしには分量もちょうどええが、お主らのような若もんには足りんかもしれんがな。内装もシックでええじゃろ。京都の店の雰囲気をそのまま味わえるようにつくりよったらしいんじゃ」
2人の仲居が代わるがわる、テーブルに生ビールのグラスと先付けを置いている間、太郎丸がうれしそうに説明した。そして、2人が部屋を出ようとすると、声をかけた。
「次の料理の時に熱燗を2本、生ビールも1本頼む。御猪口は一応、3つじゃな」
「かしこまりました」
仲居が部屋を出ると、太郎丸が生ビールのグラスを取り、2人に目で促した。
「わしの都合で呼び立てよってすまんのう。うまい料理で飲んでくれや。じゃあ…」
太郎丸に合わせて2人もグラスを上げた。ビールを飲んでグラスを置くと、吉須が切り出した。
「会長。なんの話があるんですか。そろそろ話してください」
太郎丸は吉須の問いにすぐには答えず、先付けに箸をつけ、口に運んだ。
「やっぱりうまいわな。お主らも早よう手をつけろや」
勧めに従い、2人が箸を取ると、太郎丸は続けた。
「わしはな、お主らの力を借りたいんじゃ。うちの編集局の連中に聞くと、わしの手伝いを頼みよるなら、君たち2人がええと言うんじゃな」
2人は怪訝そうに顔を見合わせて、箸を止めた。
「それはどういうことですか。僕らは“座敷牢”の身です。会長の役に立てることなんてないですよ。会長はそんなこと、わかっているでしょう。ねえ、吉須さん」
黙って笑顔を見せるだけだった深井が突然、吉須に同意を求めた。吉須のほうは「そんなにつっかかるな」という顔つきで、含み笑いを浮かべ、ビールグラスに手を伸ばした。
(文=大塚将司/作家・経済評論家)
【ご参考:第1部のあらすじ】業界第1位の大都新聞社は、ネット化を推進したことがあだとなり、紙媒体の発行部数が激減し、部数トップの座から滑り落ちかねない状況に陥った。そこで同社社長の松野弥介は、日頃から何かと世話をしている業界第3位の日亜新聞社社長・村尾倫郎に合併を持ちかけ、基本合意した。二人は両社の取締役編集局長、北川常夫(大都)、小山成雄(日亜)に詳細を詰めさせ、発表する段取りを決めた。1年後には断トツの部数トップの巨大新聞社が誕生するのは間違いないところになったわけだが、唯一の気がかり材料は“業界のドン”、太郎丸嘉一が君臨する業界第2位の国民新聞社の反撃だった。合併を目論む大都、日亜両社はジャーナリズムとは無縁な、堕落しきった連中が経営も編集も牛耳っており、御多分に洩れず、松野、村尾、北川、小山の4人ともスキャンダルを抱え、脛に傷持つ身だった。その秘密に一抹の不安があった。
※本文はフィクションです。実在する人物名、社名とは一切関係ありません。
※次回は、来週11月15日(金)掲載予定です。