裁判員の判断をないがしろ? 「求刑1.5倍」判決を破棄した最高裁のメッセージを読み解く
有罪か無罪を決める事実認定については、裁判員の判断を極力優先するが、刑の重さ(量刑)に関しては、他事件との公平感を考えてもらいたい――これが最高裁の下級審への注文のようだ。
子どもを虐待死させたとして傷害致死に問われていた両親が、大阪地裁の裁判員裁判で求刑の1.5倍の懲役15年の判決を受けていた事件で、最高裁第一小法廷はこの判決は重すぎるとして破棄し、父親に懲役10年、母親に同8年を言い渡した。
●裁判員の市民感覚と量刑の公平性
この事件では、父親が1歳の三女の頭を床に打ちつけるなどして死なせた。一審は、二人が長期にわたって虐待を行っていたとして、「殺人罪と傷害致死罪との境界線に近い」と判断。三女に予防接種や健康診断を受けさせず、虐待を疑った保健師らが繰り返し訪問しても受け付けなかったして、両親を批判した。さらに、「虐待事件に今まで以上に厳しい罰を科すことが、児童の生命を尊重しようとする社会情勢に適合する」と指摘。裁判員の市民感覚として、従来の量刑は子どもの虐待事件に対して甘すぎ、もっと重く処罰すべきだという認識を示した。大阪高裁もこれを追認した。
これに対して最高裁は、「裁判員裁判といえども、他の裁判の結果との公平性が保持された適正なものでなければならない」と判示。「これまでの傾向を変容させる意図を持って量刑を行うことも、裁判員裁判の役割として直ちに否定されるものではない」としつつも、そういう場合には、「従来の量刑傾向を前提とすべきではない事情の存在について、具体的、説得的に判示されるべきである」とした。
要するに、大阪地裁の判断は、直感的、感情的であり、幼児虐待は重く罰しろという一般論は理解するにしても、この事件を従来より厳罰に処するための説得力に欠ける、ということのようだ。
これに対して、「これでは、裁判員裁判の意味がない」との批判も起きている。他に頼る者のいない幼児に対して、保護を与えるべき親が虐待して死なせた場合には、通常よりむしろ重く罰すべき、というのは、確かに賛同する人も多い市民感覚だろう。「そういう声が生かされなかった」「もう裁判員裁判なんてやめてしまえ」という怒りの声もネットでは表明されている。
●裁判員裁判によって変化したもの
ただ、最高裁は裁判員をないがしろにしていいと言っているわけではない。むしろ逆だ。
実際、最高裁は2014年2月、事実認定については裁判員の判断を重視する判断を示している。覚せい剤をチョコレート缶に入れて密輸したとして起訴された男性が、「土産物とした預かったのであって、覚せい剤とは知らなかった」と主張していた事件だった。一審の千葉地裁裁判員裁判は「被告人の弁解も信用できなくはない」として無罪とした。2審の東京高裁は、逆に「被告人の供述は変遷していて信用できない」として懲役10年の有罪判決を下した。最高裁は、「事実の認定がよほど不合理でない限り、裁判員裁判の結論を尊重すべき」として無罪とした。