デモの底流に流れるそうした伏線について、香港在住の村尾龍雄弁護士は次のように解説する。
「中国政府は03年、香港との間で経済緊密化を目的とする協定『CEPA』(Closer Economic Partnership Arrangement)を締結しました。これを機に大陸から不動産投資を目的とする通称“イナゴ軍団”が雪崩込み、下落していた香港の不動産を買い漁ったおかげで、物件価格が凄まじい勢いで暴騰したのです。中心部のマンションなどは1億円程度では絶対に買えません。香港人としてのアイデンティティだけでなく、実利的な面でも一般庶民は大きな打撃を受けており、そうした不安と不満の累積が今回のデモの本質だと思います」
ちなみに総工費50億円ともいわれる自宅に住む超富裕層、国際的な俳優ジャッキー・チェンは、今回の民主化デモに反対しているが、まさに現在の香港の構図を象徴するエピソードといえよう。経産省の元官僚A氏は、推測をまじえてこう読み解く。
「親中派の富裕層は絶対に守られます。メディアはデモを“雨傘革命”と呼んでいますが、当事者の学生たちは“運動”だと言っており、目的は香港独立ではなく選挙制度改革だと主張しています。ところが、中国政府は断固として譲ろうとはしない。当面は、香港を親中派の富裕層1200人に支配させ続けたいからです。香港のゴタゴタを台湾に見せれば台湾統合はさらに遠のきかねないのに、なぜそこまでこだわるのか不思議です」
●超格差社会をもたらした中国政府
実は、中国政府が香港市民を捨てても守ろうとしている富裕層には、A氏のいう親中派だけではなく多国籍外資系企業も含まれる、という言い方が適切かもしれない。その背景には、中国政府が香港を超格差社会にさせたという歴史がある。
かつて、香港返還を指揮した許家屯は、元中国最高指導者・トウ小平【編註:「トウ」の正式表記は漢字】の密使として「陰の総督」とも呼ばれた。中国政府の高級官僚や新華社香港支社長を歴任するが、89年の天安門事件で政府から民主派寄りの人物として睨まれ、90年に米国へと亡命した。亡命先で執筆した著書『香港回収工作』(筑摩書房/原題『許家屯香港回憶録』)で、許家屯は英国との暗闘など返還前の数多の秘録を明らかにした。
例えば、同書にはトウ小平が当時のサッチャー英国首相に、「京人治港」ではなく「港人治港」とすることを約束したという記載がある。「香港を統治するのは中国政府の人間ではなく、香港人自身である」という意味だ。しかし、一国二制度下の香港は資本主義経済下の特別行政区であり、巨大資本が経済全体を主導して貧富の二極化が進むのは当然の成り行きといえる。そのことを中国共産党の最高実力者だったトウ小平が想定しないはずはない。そうであれば、トウ小平とサッチャーが合意した「港人治港」とは、一般庶民ではなく巨大資本を擁する親中派企業による統治だったということになる。