親中派の富裕層1200人が指名する候補者の中から選ばれる17年の行政長官選挙で、香港の超格差社会がさらに強まることを阻止するために蜂起した民主化デモに対して今回強権が発動されたのは、そもそも中国政府にとって香港が、「民主化が予定された地」ではなかったことを暗示している。
●囁かれる香港デモの“奥の院”
一方、民主派の動きにも腑に落ちない点があるとの指摘もある。「ウォール街を占拠せよ」に倣ったキャッチフレーズ「オキュパイ・セントラル」は、街頭デモで「金融街の中環(セントラル)を占拠せよ」という意味だ。ところが、9月28日にその計画は中止され、占拠地は九龍の旺角をはじめとする市街地の路上に変更された。親中派は「デモの圧力が一般市民に向けられた」と糾弾。実際、市街地の路上デモが交通や商売を妨げたため、一般市民の反発は強まった。さらに、親中派は「民主派の資金源は米国だ」と非難している。前出A氏が語る。
「先月はじめに放映されたロシア国営テレビの報道番組も、香港デモの資金源が米国由来のものだと報じたようです。米財務省が予算づけした金の一部らしいのですが、ルートやその都度の名目は諸説あってよくわかりません。ただ、今回のデモで中国政府が最も恐れる国際金融センター占拠は結局、実現しませんでした。つまり“奥の院”は米国政府というよりも欧米の大手資本なので、『中環はタブー』ということなのではないでしょうか」
ちなみに、盧吉道からヴィクトリア・ハーバーを見下ろす景観に林立する高層ビル群には多くの欧米系巨大企業が入居している。最近は日本企業が急増しており、昨年は米国と並び最多となった。その中でも中国と特に因縁深い企業の一例を挙げておこう。中環に突き出た52階建ての真っ白な超高層ビル「ジャーディン・ハウス」には、英国系多国籍巨大企業ジャーディン・マセソン商会の本部が置かれている。かつて、中国にアヘンを持ち込み、同時に茶を運び出すことで中国は疲弊し、同社は盤石の経済基盤を築いた。
その時代から数えれば実に170年余。大英帝国の植民地・香港に本社を移転したのも同じ時期だ。日本の幕末期に坂本龍馬らを支援し、龍馬暗殺後の明治期には海援隊会計係だった岩崎弥太郎の三菱財閥創業を支えたトーマス・グラバーはよく知られた人物だが、彼のグラバー商会は当時、同社の長崎代理店だった。
歴史の事実を振り返りながら夜景に埋もれた香港デモを眺めると、宝石のように美し過ぎる絶景が少し肌寒くも感じられる。
(文=藤野光太郎/ジャーナリスト)