非常識君からの意見です。
「女優の川島なお美さんは、すぐに手術をしなかったり、抗がん剤を拒否したり、代替療法などに頼ったため、死期を早めてしまったのでしょうか」
確かに非常識君は、非常識ですね。そんなことを公言すること自体がとても非常識です。しかし、公言しないだけで同じように思っている人は少なくないと思います。
医療には99%正しいと思われることもあれば、なんとなく正しそうだなと思われていることもあります。そして、正しいと思われていることが実は正しくないことも時々起こります。それは人間を相手にしているからです。
人はいろいろです。遺伝子に遺伝情報が組み込まれ、半分の遺伝子を父親から、残りの半分を母親から受け継ぎます。ですから、本人が望む、望まないに関係なく、両親には似るのです。致し方ないことです。一方ですべてが遺伝子で決まるわけでもないのです。
遺伝子がまったく同じ双子を一卵性双生児といいます。ほとんどそっくり双子のことです。でも実は結構違っていて、両親や仲の良い友達などは、その違いを鑑別できます。つまり、いくら遺伝子が同じでも人としてはやはり異なることも多々あるのです。
一方で、遺伝子に支配されない、でも遺伝する情報を最近はエピジェネティクスなどとも呼んでいます。また、環境が同じであれば、結構同じ病気になります。当然に遺伝子が違う夫婦や、血のつながりがない子供が、同じような病気に罹患することも実はあるのです。つまり人はいろいろなのです。
サイエンスは20世紀以降ものすごく進歩しました。しかし、「人はいろいろ」ということに関するサイエンスはあまり進歩していません。ましてや医療分野では、やっとオーダーメード医療とか、テーラーメイド医療とか、個人の違いを重視した医療の必要性が叫ばれています。裏を返せば、叫ばれているということは、まだ緒に就いたばかりということです。
医療サイドと患者間のギャップ
では、「人はいろいろ」というサイエンスの進歩が今一歩であれば、どんな医療が行われるでしょうか。
それは、多くの人にとって有益な医療が施されるということです。ある意味当たり前で、でも致し方ないことです。
野球で喩えるとわかりやすいです。つまり医療は1年間を通じて勝率が上がる戦術を提供します。つまり全勝する作戦ではないのです。全勝しないということは、負けも当然にあります。その負けの頻度をなるべく減らす作戦が、素晴らしい作戦といわれます。そんな作戦を医療は提供し、そして治療のプロトコール(戦略)をつくり上げています。
一方で、患者さんは、野球で喩えればそれぞれの試合です。その試合になんとか勝ちたいのです。そこで医療サイドと患者さんにギャップが生まれます。99%の監督が選択するであろう戦略もあれば、51%の監督しか選択しない戦略もあります。野球では解説のほうが、いろいろと優しく、ある時はうるさく説明をするので、素人にも理解できますが、医療ではそうした違いを理解することは難しいですね。
川島なお美さんが自分で選んだ戦略が、正しかったのか、間違っていたのかも実はわかりません。間違っていたと主張したい人たちは、非常識君と同じ論調でしょう。しかし、彼女が希望をもって、そして精一杯考えて選んだ意志決定だからこそ、亡くなる寸前まで仕事ができたということもできます。筆者は人が行った意志決定を尊重する立場です。それが、故人への優しさとも思っています。
(文=新見正則/医学博士、医師)