医療ガバナンス研究所はワセダクロニクルと共同で製薬マネープロジェクトを進めている。2016年度版データベースに引き続き、2017年度版を準備中だ。
データベース作成および解析を通じて実感するのは、製薬企業と医師の癒着の深刻さだ。最近になって、国会や行政も、この問題に注目するようになった。例えば、昨年11月6日、文部科学省は衆議院厚生労働委員会に提出した資料で、2016年度に製薬企業から1500万円超の収入を得ていた大学関係者29人の名前と金額を明かした。このうち、10人が糖尿病、8人が心臓病・高血圧の専門家だ。生活習慣病が製薬企業と医師の金城湯池になっているのがわかる。
私が注目したのは、27位の茶山一彰・広島大学教授の存在だ。専門はC型肝炎である。C型肝炎はC型肝炎ウイルス(HCV)によって引き起こされる感染症だ。血液感染するため、スクリーニング体制が未整備な頃に輸血や血液製剤、予防接種の回し打ちなどで広まった。現在、C型肝炎の患者は37万人、キャリアー(ウイルスが体内に存在しているが肝炎を発病していない人)は約200万人いる。HCVに感染すると慢性肝炎に進展し、一部が肝臓がんを発症する。2017年に2万7114人が肝臓がんで死亡したが、8割はC型肝炎による。
従来、C型肝炎の標準治療はPEG(ポリエチレングリコール)化インターフェロンの皮下注射とリバビリンの内服だった。HCVはいくつかの亜型に分かれるが、日本で8割程度を占める1b型には効きにくい。この結果、1年以上治療を続けても、半分程度しかHCVが消えなかった。副作用も問題だ。インターフェロンは全身倦怠感や発熱が必発で、継続できない患者は少なくない。
新薬が状況を一変させた。開発したのは米ギリアド・サイエンシズ社だ。2015年5月にソバルディ、9月にハーボニーを発売した。ソバルディは2型に有効で、12週間服用すると、既治療例の95%、未治療例の98%でウイルスが消失する。ハーボニーはソバルディとレジパスビルの合剤で、1型にも効く。12週間の服用で、ほぼ全例でウイルスが消える。
ギリアドの販売戦略
画期的な新薬だが、薬価は高い。ソバルディは1錠6万1799円、ハーボニーは1錠8万171円の薬価がついた。一コースの薬剤費は、約520万円、約670万円だ。この2剤はギリアドに莫大な利益をもたらした。2015、16年にソバルディは2222億円、ハーボニーは4340億円を売り上げた。国内の医療用医薬品の売り上げランキングで、2年連続、ハーボニーは首位だった。
ギリアドは1987年創業のバイオベンチャーだ。抗ウイルス剤開発が事業の中心で、インフルエンザ治療薬タミフルの特許などを有する。ソバルディ、ハーボニーの開発により、ピーク時の時価総額16兆円の大企業に成長した。
他社も指を咥えて見ているわけではない。複数の企業が、C型肝炎市場に参入した。2015年11月アッヴィ合同がヴィキラックス、2016年11月MSDがエレルサ・グラジナ、2017年2月ブリストル・マイヤーズスクイーブがジメンシーを発売した。ところが、いずれもうまくいかなかった。ギリアドの販売戦略が巧みだったからだ。
HCV対策が充実した昨今、C型肝炎の新規発症はわずかだ。新薬が効けば、患者がいなくなってしまう。毎年、新規発症が期待できる高血圧や糖尿病とは違う。売上を最大化するには、他社が参入する前に、自社の薬を売り切ってしまわねばならない。発売直後のスタートダッシュが大切だ。
ソバルディとハーボニーは、発売初年度の2015年度に1509億円、2693億円を売り上げた。2016年度には713億円(マイナス53%)、1647億円(マイナス39%)と売上を落としている。これは従来の医薬品の売り上げが発売開始から数年を経てピークに達するのとは対照的だ。
どうして、こんな芸当が可能だったのだろう。多くの専門家は「画期的な新薬だったから」と言うが、それはソバルディやハーボニーに限った話ではない。
キーオピニオンリーダーへの厚遇
ギリアドが重視したのは「キーオピニオンリーダー」と言われる著名な医師の囲いこみだ。発売後は全国各地で講演会が開催され、医療業界誌には「最適なIFNフリー療法を選択できる時代に 国家公務員共済組合連合会虎の門病院分院長熊田博光氏」のような記事が数多く掲載された。このなかでソバルディとハーボニーは賞賛されている。
このような記事に登場する医師には、製薬企業からカネが支払われる。製薬データベースを用いて、2016年度に「キーオピニオンリーダー」である日本肝臓学会の「C型肝炎治療ガイドライン」委員17人に支払われたカネを調べた。結果は、全員が製薬企業からカネを受け取っており、一人あたりの平均は393万円だった。
もっとも多いのは、前出の熊田医師で1633万円、泉並木・武蔵野赤十字病院院長の1012万円、小池和彦・東京大学⼤学院医学系研究科消化器内科学教授の586万円と続く。
一方、支払の多い企業はアッヴィ合同の1433万円、ブリストル・マイヤーズスクイブの1423万円、MSDの845万円だ。不思議なことにギリアドの名前はない。それはギリアドが日本製薬工業協会(製薬協)に加盟していないからだ。製薬マネーの開示は製薬協の自主的な取り組みで、非会員企業に義務はない。自主的に公開している企業はあるが、ギリアドにそのつもりはない。製薬企業の社員は「常識的に考え、途方もないカネが販促に使われたはず」と言う。
ギリアドの牙城を崩したのがアッヴィ合同だ。2017年11月に発売したマヴィレットがソバルディ、ハーボニーを淘汰した。2018年度の売上は1177億円。この年の国内の医療用医薬品の売上トップだった。マヴィレットは1型、2型を含むすべての遺伝型に使え、投与期間は8週間と短いが、販売増にもっとも効いたのはギリアドから「キーオピニオンリーダーを奪還した」(製薬企業社員)からだ。
巨額の製薬マネー
その象徴が前出の熊田博光医師(現虎の門病院顧問)だ。2016年度、製薬企業から1633万円を受け取っているが、アッヴィ合同から受け取ったのは835万円だ。2位のブリストル・マイヤーズスクイーブの329万円の倍以上だ。熊田医師は、アッヴィ合同が主催する講演会などで、マヴィレットのことを「8週治療でC型肝炎治療の第一選択に」や「C型肝炎の治療は究極のところまできた」と褒めている。
熊田医師は前出の日本肝臓学会の「C型肝炎治療ガイドライン」以外に、厚生労働省の「科学的根拠に基づくウイルス性肝炎診療ガイドラインの構築に関する研究」の班長、「肝炎治療戦略会議」の委員など歴任した大物だ。私も虎の門病院在職中に御指導いただいたが、高い臨床能力、研究能力を兼ね備える希有な存在だ。さらに指導力も高い。弟子も多く、前出の茶山一彰・広島大学教授の前職は虎の門病院「熊田一家」の卒業生だ。
熊田先生は、少々、オーバーに褒めたところもある。エビデンスに基づかない発言もした。例えば「HCVに感染していれば治療対象」という発言だ。慢性肝炎の患者はともかく、キャリアーまで治療すべきかは意見が分かれる。進行しない患者が多いからだ。ところが、キャリアーは慢性肝炎患者の5倍以上いる。財政負担は大きくなる。
本来、臨床試験で検証すべきだが、わが国では議論する前に、根こそぎ治療してしまった。マヴィレットの2018年の四半期ごとの売上推移は前代未聞だった。第2四半期の423億円の売上がピークで、第3四半期は299億円と売上を落とした。発売から1年以内でピークアウトした。当時、ライバルのギリアドは新薬のエプクルーサ配合錠を開発しており、2019年2月に発売したが、その前に残されていた患者を治療してしまった。
マヴィレットの開発により、アッヴィが時価総額約13兆円の大企業に成長し、医師は巨額の製薬マネーを受け取った。しかしながら、これが患者の福音になったのかは疑問の余地がある。無駄な投薬、避けられた副作用が起こっているかもしれない。今回の経緯は患者目線で見直さねばならない。
(文=上昌広/特定非営利活動法人・医療ガバナンス研究所理事長)