2018年11月13日、ある“交通犯罪”の判決が確定した。2015年8月に起きた“池袋東口暴走事件”。この事件において、自動車運転処罰法における危険運転致死傷罪を犯した容疑で逮捕、その後起訴された53歳(当時)の男性医師に対する刑事裁判の上告審判決が下り、最高裁は上告を棄却、懲役5年の実刑判決が確定したのだ。
この事件でポイントとなったのは、脳に関する神経疾患のひとつである「てんかん」。男性医師にはてんかんの持病があり、事件当日の夕方分の薬を飲み忘れていたという。そのためか、事件直前にてんかんの発作が起き、男性医師の運転するベンツは暴走、結果として1人が死亡し4人が重軽傷を負う大惨事となったのである。
これを受けてネット上などでは、「そもそもてんかん患者が免許を取れること自体がおかしい」といった過激な意見も出た。しかし、てんかん患者が一定の条件のもとで運転免許を取得できることになったのは2002年と比較的新しく、「適切な治療、投薬を続ければ発作を抑えることも可能であり、一律に免許取得を禁止するのは重大な人権侵害である」といった指摘もある。
なじみの薄い者にとっては、「突然倒れてけいれんを起こす怖い病気でしょう?」といった一面的な認識だけが独り歩きしている感もある、この「てんかん」という病気。
いったい、てんかんとはどのような病気で、その原因はどこまで解明されており、その治療法にはどのようなものがあるのか。精神科医で、精神科専門病院である昭和大学附属烏山病院の院長でもある岩波明氏が、その特徴や、てんかんをテーマにした文学作品を挙げながら解説を加える。
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てんかんは古くから知られている疾患であるとともに、出現頻度の高い病気です。てんかんの有病率は0.5~1%程度であると考えられており、男女差はありません。つまり男女問わず100~200人にひとりはこの疾患を有するわけで、頻度の高い疾患であるといえますが、一方でてんかんに関して一般の方の理解度は高いとはいい難いでしょう。
てんかんはかつて精神医学の分野においては、統合失調症、躁うつ病と並んで三大精神病のひとつとされていました。特に成人のてんかんについては精神科医が診療することが多かったのですが、現在では脳外科か神経内科が担当することのほうが増えています。
てんかんは、脳の神経細胞の過剰な興奮により、さまざまな発作(てんかん発作)が反復して起こる慢性疾患であると定義されています。発病年齢として多いのは、小児期から思春期です。より詳しくいえば、生後1年未満の発症が特に多く、ほとんどが思春期までに発症します。脳の発達は乳幼児期がもっとも速く、3歳くらいまでに成人の8割程度まで完成するとされています。てんかんの発症は、この脳の発達速度に関連すると考えられているのです。
10歳を超えるとてんかんの発症はまれになりますが、老年期になると脳血管障害、脳腫瘍、頭部外傷、脳変性疾患などが原因となり、再びてんかんは増加します。30代以降に初発したてんかんを「遅発性てんかん」と呼ぶことがありますが、この遅発性てんかんにおいては、脳の器質性疾患が原因のことが多いとされています。
てんかんは、第一に病因により分類されます。これによって、原因不明で体質が関連する「特発性てんかん(原発てんかん、真性てんかん)」と、脳の器質性または代謝性の原因に基づく「症候性てんかん(続発性てんかん、二次性てんかん)」とに大別されます。
さらに別の分類法もあります。発作型による、「部分てんかん」と「全般てんかん」です。部分てんかんとは、脳の過剰な興奮が大脳の一側半球の一部の部位から始まり、それが拡がっていくものです。一方で、脳深部の過剰な興奮が脳全体に一挙に拡がっていくものが全般てんかんです。
「突然倒れてけいれんを起こす」は誤り
てんかんの症例は、ギリシア時代から記載が見られます。ギリシア時代において、てんかんは「神意」の表れとみなされ、「神聖病」とも呼ばれていたといいます。ところがローマ時代になると、一転して「悪魔憑き」とされるようになっていきます。
古くから知られている病気ではありましたが、一方でてんかんには検査手段もなく、そのメカニズムについても不明な時代が近代まで続きました。しかし、1912年の「脳波」の発見などを経て、てんかんが脳の器質的な疾患であることが次第に認知され、てんかんに有効な薬物も発見されるに至っているのです。
てんかんに有効な薬物を、「抗てんかん薬」と呼びます。薬物の効果はさまざまで、完全に発作のコントロールが可能な例から、多くの薬物を併用しても発作が収まらないケースも存在します。日本ではあまり一般的ではないですが、てんかんの原因となっている脳の一部を外科的に摘除するといった治療も行われています。
医療従事者でさえも、てんかんは「突然倒れてけいれんを起こす病気」という認識しか持っていない方も多くいます。しかし実際には、てんかんの発作は、脳のどの部位に異常(焦点)があるかによって違いがあり、さまざまな形で出現します。けいれんのないてんかんも存在していますし、意識障害が出現しないタイプもあるのです。
一方で、完全に意識消失を示すもの、無意識のまま行動を継続するもの、既視感(デジャブ)や幻視などの精神症状を呈するものまで多彩で、他の疾患と誤診されることもあります。また逆に、ストレスなどをきっかけとして、てんかんに類似の心因性の発作が誘発されることもあります。
歴史的に見ると、てんかんの患者は疾病そのものによるストレスだけでなく、社会的偏見などから受ける精神的、社会的不利を被ってきたことも知っておくことが必要でしょう。
精神症状を伴うことの多い「側頭葉てんかん」
部分てんかんのなかに、精神症状を伴う頻度の高い一群があります。これは、脳の側頭葉になんらかの脳障害を持つもので、「側頭葉てんかん」と呼ばれています。精神症状を伴う発作においては、幻視や幻聴、夢幻状態、恐怖、怒りなどを伴うことがあります。
側頭葉てんかんにおいてはなんらかの意識障害を伴うことが多いのですが、軽い意識混濁(なんとなくぼーっとしている)から完全な意識消失まで、その程度はさまざまです。
この発作は徐々に始まり、数分間持続します。それまで行っていた行動が突然止まり、一点を凝視してぼんやりとした表情になって、問いかけにも反応しない……など、周囲との接触性が失われることが多いのが特徴です。
発作中は、見当識障害(場所や時間に対する認識の障害)が認められることが多く、発作中のことを記憶していません。また「自動症」を認めることもありますが、これは発作直前までしていた動作をそのまま続けたり、習慣化した仕事の身振りをしたりするもので、口をくちゃくちゃと鳴らす「口部自動症」が特徴的です。
無意味に室内を歩きまわったり、人混みの中を物や人に当たることもなく上手に障害物を避けて歩いたりする「歩行自動症」が見られることもあります。このような発作には、けいれんが伴うこともあります。
あの『ドグラ・マグラ』はてんかん患者がモデル?
上記の側頭葉てんかんを主要なモチーフにしているのが、昭和初期に活躍した作家・夢野久作の長編小説『ドグラ・マグラ』です。この奇想あふれる探偵小説には、昭和初期における精神科治療について、興味深い記述が数多く見られます。
この作品は、主人公・呉一郎の犯罪についての物語で、九州帝国大学の精神科病棟と保護室が主な舞台となっています。物語は、呉一郎が精神科の保護室に収容されている場面から始まります。彼は、自分の名前や来歴をまったく記憶していないのです。
呉一郎の隣の部屋には若い女性患者が入室しており、「おにいさま、おにいさま」と一郎に呼びかけてきますが、一郎はまったく記憶が戻りませんし、自分がどういう状況に置かれているのかも理解していません。
その後、呉一郎のもとに法医学教授の若林鏡太郎が訪れ、奇怪な物語を語り始めます。若林によれば、呉一郎は精神科教授の正木によって「狂人の開放治療」と名付けられた治療を受けていたのですが、その中途で病棟内において殺傷事件を起こしたため保護室に収容され、さらにその後、正木教授自身が自ら命を絶ってしまったというのです。
この小説は、1930年代に執筆された作品にもかかわらず、「狂気」の本質を鋭く描いている上に、当時においては非常に先駆的な精神医学への見解が述べられています。たとえば、前述した精神科患者の「開放治療」は、1960年代以降になって初めて一般的になった治療法です。
多くの評者は、この『ドグラ・マグラ』の主人公である呉一郎を、統合失調症であるとみなしているようです。しかし、おそらくそれは誤解であろうと思います。
呉一郎は、正木博士によって遠い祖先である呉青秀の描いた絵巻物、それも美しい女の死体が次第に腐り朽ちていく経過を描いた絵を見せられたことによって精神的に錯乱し、母親と伯母を絞殺しました。さらに同じことがきっかけとなり、九州帝大病院においても殺傷事件を引き起こしてしまいます。
しかしながら呉一郎は、呉青秀の絵を見るまでは、正常な青年であったとされています。美女の腐乱死体を描いた絵という視覚刺激を受けたせいで、彼は異常な行動を起こすことになった。しかも呉一郎は、自分の起こした行動についてまったく記憶していません。
突然の意識消失発作を繰り返す疾患は、今回のテーマであるてんかんが代表的なものです。呉一郎は視覚刺激によっててんかんの発作が誘発され、意識が混濁したもうろう状態になったのだと思われます。似たような例として、テレビゲームの視覚刺激によっててんかん発作が出現したケースも知られています。
さらに呉一郎の症状として、意識障害が見られる状態で、場の状況にそぐわない行動が出現する「自動症」も認められることから、診断的には「側頭葉てんかん」であったと考えられます。自動症が起きている時期の記憶は失われるため、発作については彼は、何も記憶していなかったのです。
(文=岩波 明)