新型コロナウイルス感染拡大による東京五輪開催の1年延長の決定以来、初めて国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が来日し、11月15~18日の4日間滞日。菅義偉首相、小池百合子東京都知事、安倍晋三前首相、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の森喜朗会長らと会談。新国立競技場と選手村を視察し、帰国した。バッハ氏は「観客を入れて実施できると確信した」と繰り返したが、饒舌な語りも「期待論」と「精神論」に依拠するだけだった。
選手に接種を呼び掛ける予定のワクチンについて「IOCが費用負担をする」「ワクチンができているであろう」と言う一方、できなかったらどうするかには言及しない。さらに3000億円とされる延期による追加費用の負担分について問われても言を濁した。
そもそも「中止に関する協議はしない」という前提での“出来レース来日”。中止や再延期はおろか、競技や種目の削減についても何も言及しない。これらを実施すれば「なぜうちを外すんだ」となり、収拾がつかないことは目に見えている。
バッハ会長が「観客を入れて実施できる」根拠としたのが、11月8日に開かれた体操の国際大会の「成功」と、プロ野球で横浜スタジアムに観客を満席の8割超、2万8000人を入れたが大事に至らなかったことだ。これもプロ野球機構が組織委に頼まれて実施した「実験」だったという。
しかし、体操大会の参加者はロシア、米国、中国、日本だけで総勢30人ほど。国民は個人負担でないとPCR検査を受けられない不信感が募るなか、参加選手は毎日PCR検査を受ける「特別待遇」。こんなことが1万人を超える選手らが長期滞在する「本番」でできるのか。バッハ会長は「迅速なPCR検査ができているだろう」とこれも単なる期待論だ。
実はこの体操大会は、従来から存在した伝統ある大会でもなんでもなく、「東京で五輪ができますよ」と演出するために組織委がしつらえた代物。「友情と絆の大会」と命名されていた。バッハ会長は「感染対策の制限があるなかでも大会を安全に開催できることを示す例になる。スポーツ界全体にとって非常に重要なシグナルで、特に東京オリンピックの準備を行う上で自信を与えてくれる大会になる」とのビデオメッセージを寄せた。主催した国際体操連盟の渡辺守成会長も「誰かが先陣を切って国際大会を開催しなければオリンピックに向けた知見は得られない」と胸を張った。しかし、大会では空港から全員が防護服に身を包んだ中国選手団の異様な光景が目立っていた。
爆弾質問をしたロイター記者
16日夕方にバッハ会長らの記者会見があった。選手村などバッハ会長の施設視察の取材には参加できたものの会見に参加できなかった筆者は、ネット中継を見ていた。基本的に厳しい質問をしたのは外国記者だった。爆弾質問をしたのは英ロイター記者。
「招致委員会が、森会長がトップを務める嘉納治五郎インスティチュートという団体に140万ドルを支払っている。これは何に使ったのか」
「(日本の)招致委員会が高橋治之氏(元電通専務)に約820万ドル(約9億円)を払ったが、何に使われたのか」
組織委に嫌われれば取材で不利益を被ると恐れる日本の記者は、こんな質問は絶対にしない。森氏は「私が代表を務める嘉納治五郎財団のことを言っていると思うが、私は実際の経理や財政処理には直接担当していないので、おっしゃったことがどこまでが正しいのか承知していません」とはぐらかした。
バッハ会長は「組織委員会内の内部の問題。高橋さんについてはIOCのルールに違反していない確認を得ている」と言及した。高橋氏については「招致委からの金でロビー活動をしていた」と3月にロイターが報じていたものだった。
一方、NHK記者が「スポンサー企業が追加契約をためらっているが」と尋ねると、森氏は不愉快そうに「スポンサーは見返りがあるから契約するだけなのか」などと返して「NHKらしからぬ」を繰り返した。一番聞かれたくないことだったのだろう。挙句、「交通事故で死者が多く出るからといって車をなくせということにはならないでしょう」などと宣(のたま)いだす。「コロナで死ぬ人が多く出ても、五輪はそれ以上に重要」と言いたいのか。
仰天論理に飛躍させ、長々と演説して質問時間を潰していた姿には「こんな時に余計なアンケート結果を報道するな」と一種の恫喝で必死に悲観論を封じたい焦りがありありだった。NHKはバッハ会長来日前日の11月14日、国内企業の54社にアンケートした結果を報じていた。「期待していたメリットが得られそうか」に64%が「わからない」。「得られない」が9%もあった。12月がスポンサーと組織委の契約延長の期限だった。
「金づる」との密談が最優先
バッハ会長の本当の目的は何だったか。最終日の18日にはIOCとIPC(国際パラリンピック委員会)合同会見が開かれたがバッハ氏の姿は見えず、森組織委会長、そしてIOCのコーツ調整委員長が登壇した。外国人記者が「バッハ会長は今日、何をしていたのか」と尋ねるとコーツ氏は「スポンサー企業と会っている」などと打ち明けた。首相や小池氏、森会長よりも「金づる」との密談が重要だった。
とはいえ日本の企業も、最低でも10億円、最高150億円とされるさらなる投資をして、大会が中止・延長になったり、大幅縮小でプロモーション効果が薄れれば、ただでさえコロナで利益が縮小しているなか、株主代表訴訟も起こされかねない。こうしたなか、今やスポンサーにとって組織委に追加投資をするかどうかは「踏み絵」になっている。
小池都知事との会談の取材(冒頭のみ)を終えて筆者が都庁の下に降りると、「五輪は貧者を殺す(英語)」の横断幕を掲げて抗議している人たちがいた。ハンドマイク片手のメンバーが「IOCを廃止せよ」と英語で叫んでいた。警備がピリピリするなか、バッハ氏は話しかけにいったが、警備に阻まれたせいか応じずスローガンを叫び続けるだけだった。こうしたことも海外では報じられるが、日本ではほとんど報じられない。
五輪トップの来日と聞いて筆者は慌てて上京したが、昨年秋のマラソンの突然の札幌への移転騒動に比べても報道はずっと小さかった。東京新聞ですら18日の朝刊ではすでに記事はない。国民は「オリンピック、何言ってるんだ。それどころではない」なのだ。森氏は盛んに国民との「共感」を訴えたものの、「笛吹けども踊らず」への焦りが覗いた。
拡大一方のコロナ感染下にあって、すでにアスリートが「オリンピックを敢行してほしい」と言ってもバッシングされるくらいの空気になっている。事実、体操の内村航平選手が「新型コロナウイルスの感染拡大で、東京オリンピックができないと思っている人が多くいると思うが、“できない”ではなくて、“どうやるか”と考えられるように皆さんの考えを変えてほしい」と言っても批判された。バッハ会長は「安全が最優先」と何度も強調したが、現実との乖離は広がる一方である。