31日投開票の衆議院選挙に際し、日本共産党が公表した「2021総選挙政策」の中で、「非実在児童ポルノ」に対する取り組みに言及した。このことについて、前編に続き、自由民主党参議院議員の山田太郎氏の見解を以下、掲載する。
2016年ブキッキオ報告の顛末
まず、国連人権理事会・女子差別撤廃委員会の基本的なロジックを整理します。女子差別撤廃委員会は、「マンガ、アニメ、ゲームそれ自体が、女性に対する性暴力を助長させている」「その原因が女性に対する固定的な概念」にあると強く訴え、「日本はマンガ、アニメ・ゲームを規制せよ」と訴えています。
「犯罪を誘発する可能性がある」というのがその根拠です。この“根拠”について、私は岸田文雄外相(当時)に質問したのですが、岸田外相は「根拠のないものは根拠を求める」と答弁しました。
また、「マンガ、アニメそれ自体が人権侵害だ」という主張に関しては、岩城光英法務相(当時)が「創作物に人権はない」と答弁しました。創作物に人権を認めてしまうと、テレビドラマの「殺人事件」やアニメやマンガの『名探偵コナン』は成り立ちませんよね。
では今回、共産党さんが「2021総選挙政策」で触れていた国連人権理事会の特別報告者マオド・ド・ブーア=ブキッキオさん(元欧州評議会事務次長、オランダ)は、どういう人だったのでしょう。2015年10月26日、ブキッキオさんが会見したのですが、非常に多くの誤認発言がありました。発言の概要としては以下の通りです。
・女子学生の3割(後に13%と主張。但し通訳は3割)は援助交際をやっている
・児童ポルノ法の罰則規定が非常に軽い。罰則が科されても罰金だけにとどまることが多い
・被害届が正式に出ないと警察は捜査を躊躇する
・沖縄では、家庭崩壊で家出をすると生き残りのため売春産業しかない
この「3割」発言は当時も大きな物議を醸しました。私は、その根拠となる数字があるのかどうかを全省庁に問い合わせたのですが、見つかりませんでした。その後、外務省は抗議し、「後日、誤解を招くものであった」との書簡を受け取ったそうです。沖縄の件も同様に明確な根拠はありませんでした。
一連のブキッキオさんの発言は、日本の女子学生をリスクにさらしてしまいました。つまり「日本は援助交際が流行っている」「罰則も緩く、警察も取り締まらず、沖縄ではすごいことになっている」と英語で世界中に発信してしまったのです。
私は当時、参議院会館でブキッキオさんと直接面談し、「性欲求」と「虐待」、「わいせつ物」の違い、個人法益と社会法益で違うことを説明しました。そのうえで、同じ政治家として、なにを対策しなければいけないのかを議論し、まず「虐待」を対策しなければいけないということ、わいせつな二次元創作物の対策ではないはずであるということを訴えたのですが、最終的に理解してもらうことができなったようです。
選択議定書・サイバー犯罪条約と日本政府の立ち位置
今でもはっきり理解されていない方が多いのが、この問題にかかる2つの国際条約です。
私は2016年2月29日に政府に質問主意書を出しました。この年の3月にブキッキオさんが国連に特別報告をし、勧告が来ることを予想していましたので、それに先駆けて、日本政府が児童ポルノに関し、守らなければいけない条約がどれくらいあるのかをちゃんと調べておこうと思ったからです。
政府の答弁によると2つの条約があるとのことでした。
1つは「児童の売買、児童買春及び児童ポルノに関する児童の権利に関する条約の選択議定書」(選択議定書)。そしてふたつ目が、先にお話しした毎日新聞の事例で挙げたサイバー犯罪条約(サイバー犯罪に関する条約)です。
選択議定書は、同条2cで触れられている通り、実在の子どもしか定義していないので、非実在の子どもは関係ありません。
サイバー犯罪条約は、第9条では創作物等を含むことにも触れていますが、その部分に関して日本政府は留保しているのです。
最終的にブキッキオさんは、日本政府が条約に批准していることを挙げて、「児童のポルノ的な描写は描写された児童が現実のものか仮想のものかであるかに関わらず、児童ポルノとされているのだ」と主張し、規制を求めました。
日本政府は「いずれの文書が国際規範・基準を構成するのかが明らかではないと認識している」「児童の権利委員会はこの点に言及した公式見解を公表したことがない」と指摘した上で、ブキッキオさんの報告と勧告を「国際的規範・基準を形成するものと考えられていない報告書の個人的見解やオプション」であると明確に反論しました。
とはいえ、私はブキッキオさんの報告すべてに対して批判的ではありません。例えば、日本政府の児童の性虐待に対する対応はどうだったのかという点です。内閣府、法務省、文科省、警察庁など各省庁に児童ポルノまたは性虐待に対処している部署がなかったのです。これは大きな問題となりました。その後、菅義偉官房長官(当時)が中心となって、警察庁が各省庁間の調整機能を担うとして担当部署を置くことになりました。
いずれにせよ、このブキッキオさんの報告に関し、共産党さんは「日本は、極端に暴力的な子どもポルノを描いた漫画やアニメ、CG、ビデオ、オンライン・ゲーム等の主要な制作国として国際的にも名指しされており、これらを適切に規制するためのより踏み込んだ対策を国連人権理事会の特別報告者などから勧告されています(2016年)」と記載しているのです。
一連の経緯を知らないのでしょうか。なにを守るのか、どういう内容なのか、機微なものを完全に無視して、取り上げてしまったのではないでしょうか。
韓国のアチョン法、創作物製造が強制性交罪より重罪
実際に非実在児童ポルノを強く取り締まった事例もあります。韓国では2011年、性犯罪からの児童の保護を謳うアチョン法が制定されました。この法律は創作物も処罰対象となりました。現地に行って関係者に話を聞いてきたのですが、大変なことになっていました。
マンガやアニメ、ゲームと児童の性被害に関する統計がない中で、同法の対象物には「青少年と認識しうる表現物」も含まれました。仮に因果関係があっても、「被害者である実在児童がいない創作行為の段階で罰していいのか」という論点もあると思います。
同法が制定された結果、11年時点の児童ポルノ関連の逮捕者は約100人でしたが、12年の逮捕者は22倍の約2200人に激増しました。ゲーム業界の従業員数は12年時点で5万2466人だったものが、規制開始で、14年には25%減の3万9221人まで減少しました。
極めていびつな部分だと思うのが、同国では成人女性に対する強制性交罪は懲役3年以上とされているにも関わらず、アチョン法では実在児童に対して強制性交をしなくても「マンガ・アニメを製作したら懲役5年以上で就業制限と身元登録がなされる」となってしまっている点です。つまり、実在の人に危害を加えるより、罪が重いのです。
実在の人物に関する成人わいせつ物を配布すれば、「1年以下の懲役、50万円以下の罰金」となります。一方、アチョン法では、P2Pソフトでアニメをアップロードすると「7年以下の懲役、500万円の罰金、就業制限、身元登録」となります。
その結果、同法で逮捕された人々が、「わいせつ罪にしてくれ」と申し出る例が続出してしまったのです。
果たして、この法律は実際の人や子どもを守っているのでしょうか。残念ながら、韓国ではこれだけ厳しい法律を作ったにも関わらず、事件は減りませんでした。
「非実在」の議論はナンセンスでして、実在の被害児童を守れていない現状の日本の児童ポルノ法をもし改正するのであれば、「性虐待記録物」としなければ、前述した3号ポルノ規定を含めて穴がでてしまうのです。
共産党さんの「2021総選挙政策」では「60.文化」の項目に「『児童ポルノ規制』を名目にしたマンガ・アニメなどへの法的規制の動きに反対します」と書いてある一方、「7.女性とジェンダー」の項目で具体的に表現規制を提言していて、全体として意味のわからない構成になっています。
児童ポルノ法の未整備部分の課題、本当に子どもたちが守られているのかということ、「記録物」と「描写物」の違い、「国際的な名指し」と捉えている2016年の国連勧告の背景、その報告者についてなど、どこまで理解していたのか。その報告者は日本の子どもたちを守るような取り組みをしていたのか、甚だ疑問です。
共産党さんだけではなく、ジェンダーという議論は各党で起こっています。ジェンダーは尊いものです。それはあくまでも、実在の人を守るべき方向でなければならないのであって、表現に関してまず言及するものなのでしょうか。
立憲民主党は次のように記載しています。
「メディアにおける性・暴力表現について、子ども、女性、高齢者、障がい者をはじめとする人の命と尊厳を守る見地から、人々の心理・行動に与える影響について調査を進めるとともに、情報通信等の技術の進展および普及のスピードに対応した対策を推進します」
この「メディア」に漫画、アニメを含むのではないのかと思われます。自民党も青少年健全育成基本法についての建付けをするという記載があります。これが表現規制につながるのではないかとの危惧もあると思います。私自身は党内にいて、同法調査会の事務局次長を務めてきて、表現規制につながらないように現場で努力してきました。
各党においても、表現の自由を守るという観点でがんばってもらう人が1人以上いてほしいです。
守るべきなのは「被害がある実在の子ども」
こうした表現規制の問題にはなぜか「小説・文学」が入ってこないのです。漫画、アニメ、ゲームは青少年健全育成基本条例などの枠組みで、子どもたちに見せてはいけない区分表現だという文脈がある一方、小説は対象外だというのです。
法務省が公表している「児童虐待に係る事件の検挙人員」によれば、平成30年で強制性交による検挙者は84件中、実父が29件、養父・継父が39件、母親の内縁の夫が13件、その他の男性1件、母親が2件となっています。明らかになっている限り、圧倒的に家庭内が多いのです。「親とはなにか」をまず議論しなければなりません。いずれにせよ、性虐待はそもそも成人が行う事例が大半だと思います。にもかかわらず子どもから、アニメ、ゲームを避けることに妥当性はあるのでしょうか。
「表現の自由」が難しいのは「嫌な話」だからです。ある人にとって「嫌な話」だからこそ、もめるのです。みんなが良いと感じているのなら、そもそも議論になりません。誰かにとっては「嫌な表現」だからこそ、感情的になりやすい。それをお互いが認められるかということが大切だと思うのです。
エロ・グロ・暴力シーンを推奨はしません。しかし、それらは人間に内在している一つのありようであって、「それをない」としてしまう方がおかしいのではないでしょうか。それをどういう場面で、どうさらすのかは別の話だと思います。区分陳列の議論もあるでしょう。
「根底からやめさせる」となれば、話が違うのです。誰が被害者なのかを、まず考えるべきなのですが、いつの間にかこの議論は、「被害がある実在の子ども」から、「それを見て不快になる人」が対象となり、「不快になるのは人権問題だ」となっていってしまったのです。
「児童に対するわいせつ表現」をなくせば、この世の中から「児童の性虐待という現象」がなくなるのでしょうか。社会はそんなに甘くはありません。むしろ「表現」をなくしさえすれば、「事実がなくなる」という考えこそ、怖くはありませんか?
リベラルが進むというのは良いことです。個々人の権利が認められていくことに他ならないからです。ジェンダーも非常に尊いことですし、大いに進めるべきだと思います。ただ、極端に偏ってしまうと、それを実現するために厳しい法律を作るとなりかねない。バランスが大切だと思うのです。
選挙は“お祭り”ですので、「紅勝て!」「白勝て!」と盛り上がり、党派性にエッジが効いて、冷静な議論がしにくい局面になりがちです。私もこの選挙期間中に、この問題を取り上げることに関し、悩みました。しかし、ここで言っておかないと、逆に「非実在児童ポルノ」の議論が先鋭化してしまうと思ったのです。
似たような話に、昨今だとフェイクニュースの扱いがあります。私も事実と異なる報道や投稿で嫌な思いをしていますので、感情的に言えば「ないほうがよい」とは思います。しかし、そうなると政治家というものは、「匿名表現をやめたほうが良い」と言い出すわけです。
「俺は顔も名前も出して主張しているのにフェアではない」「(誹謗中傷を苦にした元プロレスラーの)木村花さんまで亡くなっているじゃないか」「命を救うためにブロッキングをするべきだ」などという意見が噴出してきます。しかし、匿名でなければ表現できないものもあるのです。党内で私は次のように言いました。
「投票行動は何より尊いことですが、それは匿名で投票しますよね。なぜ実名を記入した上で投票しないのでしょうね」
ブロッキングもプロバイダなどがデータを全部見て、「良い」とか「悪い」とかを決めるわけで検閲に近いものになる可能性もあります。政治は冷静に考えないと、現象面として不具合や気に食わないことが起こっているときに、取り締まってしまえというムーブメントができると、どんどんそういう社会になってしまいます。選挙とはまさに、そうした契機になり得るので特に気をつけなければいけないと思っています。
(構成=編集部、取材協力=山田太郎/自民党参議院議員)