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生稲晃子の“アイドル人生”を考える【前編】

生稲晃子とは何者なのか?…統一教会の支援で国会議員、その“おニャン子以前”の物語

文=峯岸あゆみ
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参議院議員・生稲晃子。2016年には自身の乳がんの経験を踏まえ、政府の「働き方改革実現会議」に参加。2022年には参議院選挙で当選、おニャン子から政治家へと華麗なる転身を果たした。(画像は自民党公式サイトより)

「メンバーやファンの皆さまにも応援していただいて、おニャン子クラブという名前を汚さないように頑張って当選したい」

 2022年7月、自由民主党の公認で参議院選挙(東京選挙区)に立候補し、得票数5位で当選した生稲晃子は、このように発言している。

 その後、NHKが参院選候補者に対して実施したアンケートにほぼ無回答だったことや(のちに事務処理のミスだったと釈明)、「国会議員としての資質、勉強が圧倒的に足りない」と関係者に匿名で暴露されたことなどから、“おニャン子の名を汚すな!”と揶揄もされた。しかし、最大派閥である安倍派の全面バックアップが強力だったことに加え、旧統一教会関連団体の支援もプラスに働いたのか、初出馬で初当選。彼女の現在の肩書きは、「参議院議員」である。

 そんな彼女も、アイドルを目指したチャレンジでは二度の“落選”を経験している。10代の生稲には、“おニャン子以前”の経歴があるのだ。そこには、彼女が当時国民的アイドルグループだったおニャン子クラブを、“目標”としてではなく、あくまでも“手段”としてビジネスライクに利用した経緯がうかがえる。

聖子、明菜、キョンキョンもみんなオーディションを受けた

 アイドル黄金時代とされる1980年代、女性アイドルはソロが圧倒的な主流だった。毎年ソロの新人が多数デビューし、そこから新たな人気アイドルが続々と生まれていったため、芸能界に漠然とした憧れを抱いてアイドルを目指す若い女性も多かった。

 YouTubeもTikTokもInstagramもない当時、アイドルになるためには、オーディションに合格するか、芸能関係者にスカウトされるか、芸能児童劇団などに入ってキャリアを重ねていくか、しか手段がなかった。

 そして、アイドル志望者が誰でもできる能動的な行動が、オーディションへの応募だった。オーディションを経てデビューへのチケットをつかんだ1980年代前半のアイドルとは、たとえば次のような顔ぶれである。

▶松田聖子=「ミスセブンティーン・コンテスト」
▶河合奈保子、石川秀美=「HIDEKIの弟妹募集!!全国縦断新人歌手オーディション」
▶小泉今日子、中森明菜、岡田有希子=『スター誕生!』(日本テレビ系)
▶堀ちえみ=「ホリプロタレントスカウトキャラバン」
▶原田知世=「角川映画大型新人募集」オーディション

 映画会社・東宝による「東宝シンデレラオーディション」、芸能プロ・オスカープロモーションの「全日本国民的美少女コンテスト」など現在も続くメジャーなオーディションが生まれたのも1980年代である。酒井法子を輩出した「ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」、森高千里が発掘された「ポカリスエット・イメージガール・コンテスト」など、企業が宣伝も兼ねた大規模なアイドルオーディションを行うケースも目立った。つまり1980年代はアイドル黄金時代であるともに、オーディション黄金時代でもあったのだ。

1968年4月28日生まれの生稲晃子は、そんな時代に10代を過ごしていた。

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1985年の、マクドナルドのキャンペーンCMに出演した生稲晃子。おニャン子クラブのオーディションに合格したのはこの翌年なので、“おニャン子以前”の貴重な映像だ。(画像は「YouTube soikll5チャンネル」より)

井森美幸、鈴木保奈美を輩出したオーディションで落選

 アイドルに憧れた生稲は高校1年生だった1984年に、大手プロダクションのホリプロが主催する大規模オーディション「第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン」に応募している。まだ、おニャン子クラブを生んだ夕方のバラエティ番組『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)が始まる以前のことだ。

 この年のホリプロタレントスカウトキャラバンは、史上最多となる11万2358通の応募があったとされる。それだけ、アイドルになりたい若者が多かったということなのだ。その頂点に立ったのは、現在もタレントとして活動する井森美幸である。

 井森は、歌手としてはまったくの不発だったが、テレビのバラエティ番組を主戦場とする新たなアイドルのジャンルを開拓することで、事務所に大きな功績を残すことになる。また、審査員特別賞の鈴木保奈美もホリプロ入りし、化粧品の水着キャンペーンガールを経て、女優業で大成した(その後移籍)。そのほか、のちに他事務所からデビューし、一時、タレントとして売れっ子となる相原勇(以前の芸名は本名の小原靖子)も最終審査に駒を進めていた。

マクドナルドCMにセンターで出演もデビューならず

 このオーディションの最終審査に、生稲晃子の名前はない。しかし彼女は審査途中に関係者の目に止まり、ホリプロ系のモデル事務所(当時)のホリ・エージェンシーに所属することになった。

 この頃の生稲の芸能活動に、目立つものが2つある。ひとつは、アイドル雑誌「ザ・シュガー」(考友社出版)1984年6月号への登場である。一般公募により選ばれた女性の制服着用写真を掲載するという体裁のコーナーにおいて、彼女が大きく紹介されているのだ。ただしこの号の発売日は「第9回ホリプロタレントスカウトキャラバン」の決戦大会以前である。つまり、どのような経緯で生稲の誌面登場にいたったのかは定かではない。

 もうひとつは、堂々のメジャー仕事であった。

 1985年の、マクドナルドの学生向けのキャンペーンCMへの出演だ。このCMは、女子学生4名のなかで生稲だけが目立つ演出で、まるでこれから売り出される新人アイドルのような扱いを受けている。しかしその後彼女は、ホリ・エージェンシーから特にプッシュされるようなこともなく、フツーの高校生としての日常を過ごしていた。

2度目のオーディションで「浅倉南」になり損ねる

 生稲にとって2度目のチャレンジは高校2年の終わり頃。「Soda Fountainミス南コンテスト」なるオーディションを受けているのだ。

 これは、コミック、アニメで社会現象的な人気を得た『タッチ』(作:あだち充)のヒロイン・浅倉南のイメージガール……いわば、“三次元浅倉南”を決めるオーディションだった。当時、高校の野球部マネージャー兼新体操部のエースという設定の浅倉南というキャラクターは、現実世界のアイドルをしのぐほどのすさまじい人気を誇っていた。

 なお、「Soda Fountain(以下:ソーダ・ファウンテン)」とは、ローソンが展開していた、紙カップに注入して販売する炭酸ドリンクの商品名である。ゆえに「Soda Fountainミス南コンテスト」という“冠”は、その優勝者が“ミス南”としてローソンのCMで大々的に売り出されることを意味していた。

 なお、同オーディションの名称についてWikipediaをはじめウェブ上では、「ミス南ちゃんコンテスト」とされているケースがある。この事実誤認が広まったのは、生稲本人がインタビューで、「ミス南ちゃんコンテスト」と表現したことがあること、同時代のニュース番組『FNNスーパータイム』(フジテレビ系)内に、スポーツに打ち込む女子学生を紹介する「南ちゃんを探せ!」というコーナーがあり、それと混同して記憶している人がいることが理由だと考えられる。

「ミス南コンテスト」の決戦大会は、1986年3月に東京・新宿のスタジオアルタで行われた。25名に絞られた最終候補者のなかには生稲のほかに、やがてグラビアアイドルとしても活動する中村綾、最近では『家庭教師のトラコ』(日本テレビ系)に出演した女優の片岡礼子の名前を確認できる。

 のちの本人の発言によると、彼女は事前に関係者から優勝の内示を受けていたという。ところが、実際に「ミス南」に選ばれたのはその後、「浅倉亜季」の芸名でアイドルデビューする人物で、生稲は準ミス(2枠)にも入らなかった。内示を取り消されたのは、彼女がホリ・エージェンシーの所属だったこと、つまりまっさらな新人でなかったことが理由だったようである。

オーディションに落ちた生稲におニャン子入りの誘いが

“内定取り消し”で失意の生稲は、「ミス南コンテスト」の翌月には高校3年生になり、すぐに18歳の誕生日(4月28日)を迎える。当時の感覚では、アイドルとしてデビューするのに18歳はギリギリの年齢だった。そんな生稲にラストチャンスともいえるオファーが舞い込む。

 自身の発言によれば、「ミス南コンテスト」にかかわっていたレコード会社関係者から、おニャン子クラブのオーディションを受けるように進言されたのだ。アニメ『タッチ』はフジテレビ系のコンテンツで、その主題歌、挿入歌はフジサンケイグループ系列のキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)の所属歌手が歌っていた。よってこのレコード会社関係者とは、キャニオンレコードのスタッフだと考えられる。おニャン子も同社の所属である。

 こうして生稲は、強力なコネを得ておニャン子クラブのオーディションを受けることに。その一員になれば、必ずや念願の表舞台に立つことができるだろう。

 さて続く【後編】では、彼女が実際のところおニャン子クラブ内においてはどのような立ち位置にいたのか、そして、今回の参院選出馬ともリンクする、そのポジショニングの“したたかさ”について考察してみたい。

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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