岸田政権の安保政策転換を江川紹子が斬る! “有事の宰相”に酔いしれる前に国民に信を問え
東京都内で行われた講演で、岸田首相は、ロシアによるウクライナ侵略開始後に自民党の麻生太郎副総裁から「首相には“平時の宰相”と“有事の宰相”がいる。あなたは間違いなく“有事の宰相”だ」と言われたことを明かした。そして、防衛力強化について「私の歴史的な役割であると覚悟をしている」と述べた。さらに、自身の派閥の会合でも、「“有事の宰相”という言葉が適切か分からないが、覚悟を持って取り組まないといけない」と述べた。
この報道に接して、ウクライナ戦争が勃発して以来、とかく前のめりな姿勢で関わろうとし、規模ありきの防衛費大幅増に猛進する岸田氏の心の内が透けて見えたような気がする。
“有事の宰相”としての“覚悟”――ヒロイックで悲壮感が漂うこの言葉に、岸田氏の心は高ぶり、使命感をかき立てているのではないか。
これは危うい。
「平和主義の理念」はどこへ? 葛藤なき大転換
改めて言うまでもなく、政治の最大の責任は有事、すなわち戦争を引き起こさないこと、である。有事を想定した備えをするのも、その最大の目的は、実際に他国に有事を引き起こさせないためだ。ましてや日本は、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と憲法で謳っている。内閣総理大臣は、自らが“有事の宰相”にならないよう努めるのが、最も大事な役割だ。
麻生氏に言われたことが事実であれば、岸田首相はこう応じなければいけなかった。
「いいえ、私は“有事の宰相”になるわけにはいきません。日本国を有事にしてはならないのです」
そして、“有事の宰相”などという際どい言葉は、その場に捨て置くべきだった。しかし、岸田氏はそうせず、後生大事に心に留めた。今になって、それを自ら、しかも複数回にわたって公言するのは、この呼び方がまんざらでもなく、かなり“その気”になっている証左だろう。
“有事の宰相”は今、この国の防衛力増強にひた走る。防衛費を2027年度に国内総生産(GDP)比2%に倍増させることを決めた。これが実現すれば、アメリカ、中国に次ぐ、世界第3位の軍事大国になる、と専門家は指摘する。
来年度予算案では、防衛費に充てるため、戦後初めて建設国債を発行することを決めた。その額、4,343億円。国債発行で戦費を調達し、戦争を継続・拡大させた過去への反省から、これまで避けてきた手法の導入に踏み切った。
“ハト派”を任じていた人の、あれよあれよという間の大転換である。「平和主義の理念」を言っていたその口が、“有事の宰相”の“覚悟”を語り出すまでの、葛藤のなさには驚きを禁じ得ない。安倍晋三氏という“タカ派”の親分であり重しでもあった存在を失った影響もあるのだろうが、自ら“タカ”の着ぐるみを着込んで舞い始めたような岸田首相には、そもそも「平和主義の覚悟」などなかったのではないか。しかも、“タカ”として振る舞うには圧倒的に準備が足りない。
岸田氏は、昨年8月に自民党総裁選に名乗りを上げた際、「我が国の民主主義が危機に瀕しています」と述べ、「この国の民主主義を守るために立候補します」と宣言した。メモ用のノートを掲げながら、自らの“聞く力”を強調した。その訴えは、安倍・菅路線の国会軽視を批判していた自民党支持者以外の人々にも届き、淡い期待を醸成した。
しかし、これまた空約束だった。民主主義は、モノゴトを決定するプロセスが大切だ。ところが岸田首相は、しばしばそれをすっ飛ばす。国会が関与することなく、一方的に安倍氏国葬を決め、実施したあたりから、その地金が出てきた、と言うべきなのだろう。
危機に瀕したままの民主主義、蔑ろにされる国民への説明責任
防衛力増強についても、旧統一教会を巡る対応が注目された臨時国会が閉会するや、翌日から自民党が防衛費の財源の議論を始めた。ちなみに、この日は日曜日で、新聞発行のない休刊日である。
突然降りてきた岸田政権の増税方針。党内にもあからさまに反対する勢力があり、数日にわたるすったもんだを経て、法人税・たばこ税・復興特別所得税の増税で合意したが、増税の時期は示さないままだ。そして、慌ただしく安保関連の3文書を閣議決定。岸田首相が記者会見で「戦後の安全保障政策を大きく転換する」と宣言した。この間、わずか6日のめまぐるしい展開だ。
これまで専門家の間では議論が行われていたと言っても、有識者や実務者による検討・協議はほぼ非公表だった。増税について、7月の参院選で与党の公約には何も書かれていない。岸田首相も「金額ありきではなく、国民に丁寧に説明する」と言っていた。ところがふたを開けてみれば、まさに「規模ありき」以外のなにものでもない。何ら説明責任は果たされていない。
先の臨時国会でも、防衛強化やその財源についての質問は出ていた。それに、政府が誠実に対応したとは言いがたい。
たとえば、読売新聞が米国製巡航ミサイル「トマホーク」購入に向けて日米が詰めの交渉を行っていると報じた後、野党議員が浜田靖一防衛相に質問をした。しかし防衛相は、「検討中であり、具体的な内容は何ら決まっておりません」と何も語らなかった。それが、閉会後に閣議決定された防衛3文書には、「トマホーク」など射程の長いミサイルの「着実な導入」が明記されている。
防衛費に建設国債をあてる手法についても同様だ。やはり野党議員からの質問に、鈴木俊一財務相は「今のところ何か方向性が定まっているというものではございません」と述べた。これまた読売新聞が、「自衛隊施設に建設国債 防衛予算の方針を大転換」と報じたのは、その1週間後。国会が閉会して3日後のことだ。
これまでの方針を大きく変える大事なことについて、特定メディアに情報を流して既成事実化を図る一方で、国会での議論は避ける。そして閉会後に、密室において政府と与党だけでずんずん決めていく。唐突過ぎて、与党内でも決めきれないことは、玉虫色にして先送り。増税などは選挙で明らかにしない。これが、岸田流民主主義の真の姿のようだ。
ウクライナ侵攻の後、防衛政策を大きく変更させたり、防衛費を増大させたりするのは、もちろん日本だけではない。中立主義を維持していたスウェーデンとフィンランドが北大西洋条約機構(NATO)への加盟を申請。ドイツも国防費拡大を表明した。言うまでもなく、ロシアのウクライナ侵攻が原因だ。今の時代に、領土拡大を狙った侵略戦争が起きた衝撃は大きい。エネルギーや食料を巡る世界への影響も計り知れない。
米国でも、クリスマスを前に、過去最大となる国防予算の法案が成立した。ただ、同国では、国防予算の大枠を決めていくのに、議会が議論して、超党派による合意で国防権限法を制定する。それに大統領が署名。これだけ分断が進んだ中でも、国防政策の方針は与野党が参加して決定する伝統は生き残っている。政治システムが異なるとはいえ、民主主義や国民への説明責任という点で、彼我の差を感じざるをえない。
日本は、ミサイル発射を繰り返す北朝鮮、急速な軍拡を進める中国とも地理的に近い、という事情もある。バイデン大統領の台湾防衛発言やペロシ米下院議長の訪台を受け、中国が台湾周辺で激しい軍事演習を行ったことも記憶に新しい。
そのため、日本の世論も防衛力増強に一定の理解はある。しかし、増税や国債発行について国民の合意ができているわけではなく、世論調査によっては反対が圧倒的に多い。国民が、政府の方針に対する白紙委任状を出しているわけではない。
政府はしばしば「安全保障環境は厳しさを増している」と言う。それは、その通りだろう。ならば、この環境に対応するのに、今、何がどれだけ足りないのか、新たに何が必要なのか、それにはいくらかかるのかを、国民やその代表に説明するところから始めるべきではないのか。さらに今回は、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」という憲法にもかかわる重大な方針変更がある。本来ならば、解散・総選挙で信を問うべきところだ。
それに、政府には「安全保障環境」を和らげる努力も、もっとしてもらいたい。“ハト派”を任じていた岸田首相には、その期待も大きかったはずである。特に中国に関しては、国交正常化50年の今年はチャンスでもあった。ところが、現実はどうか。11月になってようやく首脳会談が実現したものの、今後の展望が見えないのは、必ずしもコロナ禍のせいばかりではないと思う。
“有事の宰相”としての“覚悟”を語りながら、目の前に迫った危機への対策は後回し――
そもそも国家の安全保障とは、国の存立と国民を脅威から守ることだろう。では、目下の日本にとって一番の脅威は何か。
それは、人口減少・少子高齢化にほかならない、と思う。他国からの侵略や攻撃は可能性の問題だが、人口減少・少子高齢化はもはや不可避の危機だ。
国立社会保障・人口問題研究所が2017年に公表した「日本の将来推計人口」は、2053年に人口は1億人を切り、65年には8000万人台へと落ち込むと推計する。来年、新たな推計値が公表されるが、少子化は予想より加速しており、人口減少のペースはもっと早まる恐れがある。
人口減少・少子化は、防衛力にも大きな影響を与える。ドローンとロボットをたくさんそろえればよい、というものではないだろう。新たな「防衛力整備計画」でも、「募集対象人口の減少という厳しい採用環境」を認めているが、打つ手は限られており、格別効果的と思われる対策も出せずにいる。
この「計画」を含む、安全保障政策を大転換させる3文書を閣議決定したのと同じ日、「全世代型社会保障構築本部」(本部長・岸田首相)の報告書が公表された。ここでも、「少子化は、まさに、国の存続そのものに関わる問題」とし、「子育て・若者世代への支援」を「最も緊急を要する」課題に位置づけた。ところが防衛費とは異なり、こちらに関しては、財源に関して具体策は示さず、来年夏以降に先送りされた。
“有事の宰相”として戦争準備は急ぐが、目の前に迫った危機への対策は後回し。危機対策の優先順位を間違えているのではないか。
日本の国力低下も著しい。2021年の日本の1人当たり名目国内総生産(GDP)は、経済協力開発機構(OECD)加盟38カ国中20位だったと昨年より一つ順位を下げた。一人当たりのGDPは、発表国の平均的な豊かさを示す指標だ。民間研究機関の試算によれば、今年は台湾、来年には韓国を下回る見込みという。しかも、行政などのデジタル化が遅れた日本は、今後は年々差を広げられると予測されている。
科学技術力の低落傾向にも歯止めがかからない。文部科学省科学技術・学術政策研究所が公表した「科学技術指標2022」によれば、自然科学分野の注目度の高い論文で、日本は2000年の4位から10位に陥落した。
そんな内外の状況を踏まえて、日本の防衛力はいかにあるべきか。年明けの通常国会は、まずそこを議論するところから始めてもらいたい。そして、岸田首相が戦後の安全保障政策を大転換し、“有事の宰相”として振る舞おうとするなら、これまでのプロセスも含め、解散総選挙で国民に信を問う必要があるのではないか。