【江川紹子の危惧】オウム解散命令、酒鬼薔薇事件…続く裁判記録廃棄と司法文書保存の意義
勤労感謝の日(11月23日)、1人の大学生のツイートが話題となった。
「オウム真理教解散命令事件(平成7年(チ)第4・5号)」
にかかる全記録が特別保存に指定されることなく、
『廃棄』されていることが、東京地裁民事8部への調査で判明しました。
これには、「信じがたい」「あり得ない」「どうかしている」という驚きの声や、「公文書に対しての認識が間違っている」「このような記録こそが、かけがえのない歴史の証拠であるのに」との指摘など、多くの反応があった。
そして11月25日、神戸連続児童殺傷事件など著名少年事件の記録の多くが廃棄されていたことを受けて発足した、最高裁の有識者会議の議論が始まった。
冒頭、堀田眞哉事務総長が「『特別保存』を適切に行うための仕組みが十分でなかったといわざるを得ない。裁判所全体の問題であり、重く受け止めるとともに、事件に関する方々を含む国民の皆様に対し申し訳なく、率直に反省しなければならない」と謝罪したというが、この音声をメディアが流すことを最高裁が禁じるという、意味不明の措置がとられた。
会議では、少年事件の記録廃棄について報告がされ、永久保存が決まっていた民事裁判の記録6件分を大分地裁が廃棄していたことが新たに公表された、と報じられている。しかし、最高裁のホームページには、本稿を出稿する3日後の朝になっても、その内容はアップされていない。裁判所は本当に、「国民共有の知的資源」(公文書管理法第一条より)を大量に消失させたという自覚があるのか、はなはだだ疑問だ。
こうした事態を受け、史料としての裁判記録がこれ以上失われるのを防ぐにはどうしたらいいのかを考えたい。
大学生の調査で判明した「オウム真理教解散命令請求」の記録廃棄
オウム真理教の解散命令に関するツイートをしたのは、都内の私立大学法学部2年生で、「学生傍聴人」のアカウント名を持つAさん。小学低学年の時に、民放テレビで放送されたオウム真理教に関するドキュメンタリーを見て、オウム事件を知った。身近な地下鉄車両内にサリンがまかれた事件を知って衝撃を受け、関心を持った。
その後、インターネットで事件について調べたり、図書館に関連本を借りに行ったりした。高校生の時には死刑囚の手記なども読んだ。裁判員裁判について掘り下げて学ぶ授業があり、裁判に興味を抱いた。誰でも傍聴できることを知って、時間をみつけては裁判所に足を運ぶようになった。
大学2年生の前期、Aさんは単位互換制度を活用して、私(江川)が神奈川大学で行っているカルトに関する講座「社会と人間」を受講している。毎回欠かさず最前列で講義を聴く、熱心な受講生だった。前期の授業が終わった後も、私が他のジャーナリストや研究者などと行っている裁判の公開に関する勉強会に参加するようになった。今も、オウム問題に関するさまざまな文書を情報公開請求したり、民事裁判の記録を閲覧したり、さらには刑事事件の記録の閲覧申請をするなどして、コツコツとオウム事件についての研究を続けている。
前期の憲法の授業で、オウムに対する宗教法人解散命令の判例が取り上げられた。時間ができたら記録を見てみたいと思った。
「解散命令が確定したのは、まだ教祖の裁判が始まる前。その段階で、どのような経緯で、どういう判断で教団の違法性を認め、解散に至ったのか知りたいと思いました」
通常、民事事件の裁判記録は、5年の保存期間を経ると、その後は廃棄される。ただ、史料や参考資料となるような重要な裁判記録は「特別保存」とし、永久に保存しなければならないと最高裁の規定で決まっている。
「大学で勉強する『憲法判例百選』にも入っているこの事件は当然、特別保存されていると思っていました」(Aさん)
11月17日、この事件を担当した東京地裁民事8部に問い合わせた。同22日になって、電話で回答があり、廃棄を告げられた。
「授業が始まる直前だったこともあり、すぐに電話を切ったのですが、『ハイキ』というのは聞き違いじゃないか、と思い、後から電話をかけ直しました。そうしたらやっぱり廃棄されていると……。あり得ない、と思いました」
廃棄の時期を聞いたが、教えてもらえなかった。後にメディアの取材に、東京地裁は2006年3月8日に破棄したと明かしている。
重要な憲法判例となる裁判記録が捨てられたのは、オウムの宗教法人解散命令事件だけではない。
2019年に共同通信や朝日新聞が、憲法判断が問われた重要な裁判記録が数多く廃棄されている問題を調査し報じている。共同通信によれば、『憲法判例百選第6版1、2』(有斐閣)に掲載された事例のうち、検察庁が保存する刑事事件を除く137件中118件(86%)が廃棄されていた。そのうちの1件が、Aさんが閲覧したかったオウム宗教法人解散命令事件だったのだ。
民事事件の判決原本は、保存期間が過ぎた後には、国立公文書館で保存されるルートが作られているが、非訟事件(公開の法廷が開かれたりしない簡易な手続き)である本件の場合は、決定書も含めてすべて廃棄された。民間の出版社の判例情報雑誌や判例データベースなどには決定文は掲載されているものの、原本を確かめることはできない。
Aさんは言う。
「裁判所がちゃんと残しておくことに、意味があると思うんです。日本の社会は、いろんな事件でコツコツと裁判をやったり、法律を作ったりして、今があるわけですよね。僕たち若者は、オウム事件など昔の裁判を見ることはできない。でも、記録を見ることで、追体験したり学んだりすることができる」
まさにここに、裁判記録を長く保存しておかなければならない意義がある。
「仮に紙媒体で残すのは場所をとるからできない、ということなら、デジタルでいいから残してください」
「公文書=国民共有の知的資源」である裁判記録を残すために
Aさんが言うように、裁判記録がどんどん捨てられているのは、ひとつにはスペースの問題があるだろう。そして第2に、保存の仕組み、第3に記録の利活用に問題があるのではないか。
確かに裁判所の倉庫の容量には限界があろう。それを考えれば、記録の適切な保存は、個々の裁判所の努力だけでなんとかなるものではない。国が予算をつけ、仕組みを整えて、司法文書の保存に本気で取り組む必要がある。
たとえば高裁ごとに記録の保存施設(仮称「司法公文書館」)を作り、特別保存を決めた記録は、そこに移管する。民事事件や少年事件の記録を保存している裁判所だけでなく、刑事事件の記録を保管している検察庁も、保管期限を過ぎた記録(刑事参考記録など)を移管する。ここを国立公文書館の関連施設と位置づけ、公文書の管理や保管の専門家であるアーキビストを派遣するようにすれば、適切な保存ができるだろう。
もちろん、デジタル化の活用も大いに検討すべきだ。それが本格的に導入されれば、保管されている場所が遠方の場合でも、最寄りの「司法公文書館」に出向けば閲覧できるなど、利活用の点でも利便性が増す。
また、現在の仕組みは、保管期限が過ぎた記録は廃棄するのが原則。残すのは例外だ。永久保存(特別保存)の対象となるのは、担当裁判官から申し出があったり、主要な新聞2紙以上に判決記事が載るなどした記録。弁護士会や研究者などから要望があった場合には、裁判官などが検討して決める。
これを逆転させて、原則は残すことにして、廃棄する場合には責任ある立場の人や組織がチェックするようにしたらどうか。そのように原則と例外を逆転させても、紙の記録は廃棄するものが圧倒的に多くなるだろう。それでも、「公文書=国民共有の知的資源」を捨てるには、きちんとしたチェックが行われ、その責任者の名前は永遠に残るようにすれば、神戸連続児童殺傷事件のように重要な事件の記録を安易に捨ててしまうような事態や、大分地裁のように特別保存を決めた記録を廃棄するような不祥事は避けられるのではないか。
そして、残された記録の利活用がもう少ししやすくなることも必要だ。いくら保存していても、国民が利活用できないのでは、裁判所等の記録係も、なんのために保存作業をするのかわからないだろう。刑事裁判記録も含め裁判記録には、その時代の社会の価値観や出来事、人や組織の営みが詰まっている。プライバシーの扱いには十分注意しながら、学生の学びや研究者の調査・研究、ジャーナリストの取材などに活用しやすくすることを考えてもらいたい。
そうすれば、裁判所や検察庁の記録担当者も、記録を残す意味を実感できるだろう。
失われた多くの記録は戻ってこない。ただ、神戸連続児童殺傷事件やオウム真理教解散命令事件など、歴史的に特に重要だと考えられる史料に関しては、検察庁や東京都、あるいは担当弁護士など、かかわったあらゆる機関や人に照会して、できる限り記録を復元する努力も必要ではないか。
司法公文書を残すための対策は、急務だ。最高裁は、調査報告や有識者会議の議論は速やかに公開し、ほかにもさまざまな人たちから意見を聞いて、対応を検討してほしい。国会での議論にも期待したい。
(文=江川紹子/ジャーナリスト)