「死んだら私の意識はどうなってしまうのか?」「死後の世界は本当にあるのか?」
どんな人でも、一度は「死」や「死後の世界」について考えたことがあるはずだ。もちろん、このテーマは永遠に解けない謎。唯一手がかりがあるとしたら、死の淵から舞い戻ってきた人が語る「臨死体験」かもしれない。
臨死体験は、今や科学の領域になりつつある
臨死体験を否定する人々は、「意識とは生きている人の脳がつくりだすものなので、死んだ後の記憶は、酸欠や投薬の副作用などで脳が誤作動して、実際に体験したと思いこんだ偽記憶に違いない」と主張する。つまり、「死後の世界」などは科学の領域ではなく、あくまで「オカルト」なのだ。
しかし、『死んだ後には続きがあるのか ─臨死体験と意識の科学の最前線─ 』(エリコ・ロウ著、扶桑社刊)によると、近年その状況に変化が生まれているという。
救急救命治療が発達したことで、心臓発作や脳卒中など、以前なら確実に命を落としていた人が意識を取り戻す例が増え、それにともなって死の間際に見えた光景や感じたことについて語る人が急増しているのだ。
注目すべきは、さまざまな人が語る臨死体験の過程に共通点が多いことだろう。また、その話の内容と状況証拠が一致しているケースも多いため、「臨死体験は人の生と死の境界で実際に起きていることと認めるべき」と考える科学者や医師が、特に欧米では増えている。
臨死体験は、確実に科学の領域になりつつあるのだ。
死後の世界で意識体と交渉!? 世にも奇妙な臨死体験
ただ、やはり語り伝えられる臨死体験には、不思議としか言いようがないものが多い。
イラク戦争に民間技術者として派遣されていたナタリー・サドマンさんは、乗っていた武装車両が敵の地雷に爆破され、重傷を負った。
ここからは、ナタリーさんが「見ていた光景」である。
彼女は乗車中に突然強い衝撃を受け、次の瞬間には、広い会議場のような場所に立っていたという。
そこには、一見、人のように見えるが肉体を持たない意識体がたくさん集まり、ナタリーさんの処遇について討議していた。その結果「まだ地上で果たすべき役割がある」ということになり、地上の肉体に戻されることになった。ナタリーさんは、そこで初めて、眼下に現実世界が見えていることに気づいた。
半壊状態の武装車両の中に、顔面が血だらけで、目には穴が開き、腕が不自然に折れ曲がった女性が見え、ナタリーさんにはそれが死につつある自分だとわかった。
「この状態のまま地上に戻ったら、この先大変な苦労が待っている」と考えた彼女は、「地上に戻りたくありません」と、討議していた意識体に訴えた。その結果、ナタリーさんの肉体の機能を一部修復したうえで地上に戻すということになり、ナタリーさんは生き返ることに同意した。
ただ「ナタリーさんが今後、現実の世界で与えられた使命を果たすためには、ある程度の障がいを抱えつつ生きる必要があるので、完璧に肉体を治すわけにはいかない」と言われたという。
生きているうちに学ぶ、死んでからわかること
本書には、ナタリーさんの臨死体験以外にも、数多くの興味深い体験談が載っている。また、世界の一流の医師たちや様々な分野の科学者による検証も取り上げられている。
1970年代以降、欧米を中心に数千例を超す“臨死体験”の報告がよせられている。今では、その現象を明らかにする研究が進み、2001年には権威ある医学誌「ランセット」に学術論文が受け入れられるなど、近年科学のいち分野として捉えられ、その謎の一端が解明されつつある。
「死んでからわかること」を「生きているうちに学ぶ」ことができたなら、あなたの人生観を大きく変えるきっかけとなるかもしれない。本書は、そんな一冊である。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。