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悲惨な最期を迎えた女性芸能人【孤独死編】

孤独死した女性芸能人…実姉に食い物にされた江利チエミ、死後1週間後に発見された飯島愛

文=峯岸あゆみ
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キングレコードより2019年に発売された『江利チエミ 昭和歌謡を歌う』のCDジャケット。(画像はAmazonより)

「刑事事件」「事故」「自殺」と続けてきた、悲惨な最期を迎えた女性芸能人を取り上げる本シリーズ。最終回である今回は、「孤独死」をテーマとする。一度は華やかな表舞台に立ちながら、寂しい死を迎えた5人を紹介したい。

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国民的スター歌手・江利チエミの悲劇的な最期

 美空ひばり、雪村いづみとともに「三人娘」と称された江利チエミの晩年は実に悲劇的だった。1959年に映画俳優の高倉健と結婚して、幸せな家庭生活を送っていた彼女は、実の姉によって奈落に突き落とされるのだ……。

 複雑な事情から実の母親と生き別れになって暮らしていた江利の異父姉にあたるYは、あるとき、自分の妹がスター・江利チエミであることを知る。

 1962年、Yはそれまで接点のなかった江利(当時25歳)に接触し、自分が姉であることを告げた上で、「離婚して経済的に困っている」と偽る。これに同情した江利は、やがて彼女を家政婦兼付き人として、自宅に住まわせた。公私に渡り手厚く世話をすることで、Yは江利から実印や預金通帳を預かるほどに絶大な信頼を勝ち得るまでになる。だが、それは大スターである妹に嫉妬するYにとって計画通りの行動だった。そこからYは、江利を陥れるべく非人道的な行為を展開していくのだ。

 Yは夫婦である高倉と江利が相互に不信感を抱くように、それぞれに事実無根の誹謗中傷を吹き込んだ。疑心暗鬼となった2人の間には溝が生まれ、やがて別居するようになる。また、江利の銀行口座から預金を横領し、散財。さらに貴金属を売り飛ばし、高利で多額の借金を重ね、不動産も抵当に入れるなどした。姉の行動が浮き彫りになり、見ず知らずの債権者がたびたび訪ねてくるようになると、江利は本意ではなかったが「これ以上、迷惑をかけられない」と1971年に離婚を申し出た。

 ことここに至って、江利はYを告訴する。その上で、以後はYが作った数億といわれる借金を返済すべく、馬車馬のように働き、地方営業をハードにこなす毎日を過ごすようになる。ただ、その苦しい生活は、彼女の酒量を増やしていったともいわれる。

 45歳だった1982年2月13日、江利は都内の自宅で嘔吐の上で倒れているのを発見された。死因は脳卒中と、吐瀉物が喉に詰まることによる誤嚥によるものだったと発表された。風邪をひいて体調が悪化していた状態で、ウィスキーの牛乳割りと風邪薬を飲んで寝込んだことが死につながったと見られている。姉による酷い仕打ちがなければ、彼女はもっと長く生きた可能性が高く、また、まったく違った人生を歩んでいたのは間違いないだろう。

9年間、死が報道されなかったアイドル女優・川越美和

 1988年にアイドル歌手としてデビューした川越美和の最期もまた、なんとも虚しいものだった。

 歌でのヒットこそなかったが、『時間ですよ・平成元年』『スクールウォーズ2 』『HOTEL2』(いずれもTBS系)といったテレビドラマに出演するなど女優としてメジャーな活動をしていた。2000年代になっても途切れずにテレビドラマや映画の仕事はあったが、少しずつ露出が減っていき、33~34歳頃に芸能界を引退していた。

 その死が報道されたのは、2017年5月。「週刊女性」(主婦と生活社)の記事によれば、約9年前の2008年4月に、都内の自宅アパートで彼女が死亡しているのが発見され、その時点で死後数日が経過していたというのである。

 また引退後の彼女は、公私に渡るトラブルを抱えており、亡くなる数年前から借金を背負い、酒量が多くなっていたなどの情報もあった。

 亡くなったことが9年間も報道されなかったということは、引退後の彼女がそれだけ、華やかな芸能界と距離を置いた生活をしていたということなのだろう。

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1991年にNECアベニューより発売された川越美和のベストアルバム『MIWA Best Selection』(画像はAmazonより)

死後1週間後に発見された飯島愛

 AV界からテレビ界に進出。タレントとして多くのバラエティ番組に出演し、半自伝的な小説『プラトニック・セックス』(小学館)をベストセラーにした飯島愛の訃報が流れたのは、2008年のクリスマスイブのことだ。2007年3月に腎臓の病から芸能界を引退した彼女は、その後もブログだけは続けていた。だが、それも、2008年12月5日で途切れていた。そして、24日に都内の自宅マンションで、亡くなっているのが発見された。死因は肺炎で、死亡したのは、それから1週間ほど前だと推定された。

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2000年に小学館より発売された飯島愛の告白的自伝本『プラトニック・セックス』(画像はAmazonより)

かつての人気キャスター・山口美江の突然死

 1987年に『CNNヘッドライン』(テレビ朝日系)のニュースキャスターとしてデビューした山口美江は、「フジッコ」のCMで「しば漬け食べたい」というセリフとともに知名度を上げた。その後、テレビ番組のMCとして売れっ子になり、女優業にも進出、1980年代の終わりから1990年代初頭にかけては、彼女をテレビで見かけない日がなかったほどだ。

 ところが、いつの間にか山口のメディア露出は激減。1996年には芸能界を離れ、輸入雑貨店を経営するなどして生活していたのだ。タレント業をやめたのは、重度のアルツハイマー病を抱えた父親の介護が理由だったとされている。なお、父親の死後は、講演をするなど時折、公の場に顔を出していた。

 彼女も、連絡がとれないことを不審に思った親族により、自宅で亡くなっているのが発見された。2012年3月のことだ。ただし、その死因については心不全とだけ発表されたため、詳細は明らかになっていない。その時点で51歳、短い生涯だった。

大河女優・大原麗子がひっそりと他界

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NHKエンタープライズから発売された、大原麗子主演の『大河ドラマ 春日局 完全版』 DVDジャケット。(画像はAmazonより)

 NHK大河ドラマ『春日局』に主演、映画『男はつらいよ』シリーズに2度マドンナとして出演するなど、日本を代表する女優の一人だった大原麗子も、ひっそりとした死を遂げた。

 ギラン・バレー症候群、そしてうつ病など心の病に苦しんでいた彼女は、2000年代になると女優業のペースが落ち、めったに公の場に出なくなる。そして2009年8月、連絡が取れないことを不審に思った実弟らにより、自宅で死亡しているのが発見される。死因は、不整脈による脳内出血だと診断された。まだ62歳であった。

 なお、晩年の彼女からは、次々にかつての友人、知人が遠ざかっていたという報道があった。これに対して、自らあえて、“静かに消えていくように孤高の死を選んだのではないか”という親しい関係者の発言もある。

「孤独死」というのは、メディアが安易に用いりがちな言葉で、本稿でも便宜上その言葉を使いはした。ただ、亡くなった当人が実際に孤独を抱えていたのか、仮に抱えていたとして、それはどのようなものだったのかについては、誰もわからないのである。

峯岸あゆみ/ライター

峯岸あゆみ/ライター

CSと配信とYouTubeで過去のテレビドラマや映画やアイドルを観まくるライター。ベストドラマは『白線流し』(フジテレビ系)、ベスト映画は『ロックよ、静かに流れよ』(1988年、監督:長崎俊一)、ベストアイドルは2001年の松浦亜弥。

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