日本文化や日本製品は広く世界に浸透しており、それをビジネスとして狙っている企業や人も少なくないだろう。
しかし、日本人が「これが日本だ」「日本文化とはこういうものだ」と思って発信するものは、海外の人々が知りたい、欲しいと思うものとズレているのかもしれない。
そんな日本側の「発信したい気持ち」と、世界の受け手の「知りたい気持ち」のミスマッチを、文学研究者の視点から論じた一冊が『世界の読者に伝えるということ』(河野至恩著、講談社刊)だ。
本書は、文学研究が切り口になってはいるが、文学だけでなく文化的、社会的な側面にも言及し、グローバル社会での日本、もしくは、日本人としての在り様を考えるのに役立つはずだ。
■「カリフォルニアロール」を否定する日本は世界に取り残される?
日本人は、日本人が正しいと思っている文化の在り方をそのまま海外に発信しようとする傾向があるという。そのわかりやすい例が「寿司」だ。
欧米を中心に海外で「SUSHI」が人気になったことで、日本では見られない寿司が生まれていった。その代表格が「カリフォルニアロール」だ。日本人なら日本の寿司屋でわざわざ注文する人も多くないだろうが、海外では人気のネタのひとつである。
世界中でさまざまな寿司が生まれるようになった頃、農林水産省は正当な日本料理を提供する海外の飲食店を認証する制度を設けようとしたことがあるという。これは「正しい寿司の味」を伝える目的だったのだが、このことを米ワシントン・ポスト誌は「気をつけろ、スシポリスがやってくる」と批判的に伝え、結局、認証制度は取りやめとなった。
この出来事は、日本が「日本」を発信する姿勢の偏狭さを物語っている。今の時代において、日本的であるか否かに固執しているだけでは世界に取り残される危険性があるだろう。
そこで必要になってくるのが「世界から見た日本」という視点だと著者は述べている。
■「世界」の視点を「二つのレンズ」で意識する
文学研究では「比較文学」と「地域研究」という二つのレンズを通して研究がなされるという。
「比較文学」では、小説の語りや構造、人物描写などを他の文学作品と比較しながらも、あくまで文学作品として読む。一方、「地域研究」では、その国の社会、文化、宗教などを理解した上で読む。 グローバルな視点を持つ世界の人々は、このふたつのレンズを使い分けた視点で別の国の文化を見ているという。
日本人にとって、日本文化が世界に広がったと感じることは少なくない。しかし、世界の人々はそれを日本という国のイメージを通して見ることもあれば、「どこか外国のもの」とか「世界の様々なもののひとつ」という広い視野から見ることもある。
この視点の切り替えが、日本側の「発信したい気持ち」と、世界の受け手の「知りたい気持ち」のギャップを紐解く指針になると著者は述べている。
■村上春樹は世界でどう読まれているか?
日本を代表する世界的な作家・村上春樹。その作品は、アメリカ文学の影響を受けた文体やポップカルチャーを内包しつつ、世界のどこが舞台だとしてもおかしくない無国籍な文学であることが、多くの国々で読まれている要因だとされることが多い。
しかし、彼の作品がどう読まれているかは、国々によって変わるという。彼の作品の無国籍な側面を強調したコスモポリタンな読まれ方もあれば、日本をエキゾチックな対象としてみるオリエンタリズムもある。