陸地の影もかたちも見当たらない大海原で、風の向くままただひたすら漂うばかり。雨をしのげるものはなく、灼熱の太陽が体力を奪っていく。頼れるものは、いつまでもつかわからない食料と、わずかな道具、そして自分のみ。
ボートやヨットの遭難事故は歴史上何人もの犠牲者を出してきた。一方で、数十日、時には百日以上におよぶ漂流生活の末に生還した人もいる。彼らは、過酷な環境をいかに耐えたのか。
■陸地の見えない大海原で二カ月以上も漂流した男
『漂流者は何を食べていたか』(新潮社刊)は無類の「漂流記マニア」である作家の椎名誠氏が、生還した漂流者たちが残した書物を読み解き、生死を分ける大きな要素である「食」に注目する。
夫婦で漂流したケースもあれば、家族で漂流したケースもある。たった一人で大海原に取り残されたケースもあれば、極寒の北極圏で漂流したケースもある。自分がそんな目にあうのは絶対に嫌だが、どれも「体験談」として聞くには抜群におもしろい。
椎名氏いわく、ヨットやボートが漂流するケースで多いのは、シャチなどの大型哺乳類との衝突なのだそう。その衝撃で転覆したり、船が破損してしまうのだ。
『大西洋漂流76日間』なる漂流記の著者、スティーヴン・キャラハンのヨットのケースもそう。キャラハンはヨットセイリングのベテランだったが、カナリア諸島沖でクジラと衝突し、ヨットは沈没。非常用に積んでいたイカダでのサバイバル生活がはじまった。
■漂流者が多く死ぬのは漂流して三日前後
サバイバル生活といってもテレビ番組のようなものではなく、ちょっとしたことが生死にかかわる、まさに命がけのサバイバルである。
漂流者が一番多く死ぬのは、漂流して三日前後。水や食料が手に入らないからというよりも、自分の身に起きたことへのショックと絶望から精神的にまいってしまうことが原因になるようだ。
キャラハンのヨットには万が一のためにそれなりの装備があったが、それでも生きて帰ることができる保証はない。実際、彼は「それなりの装備」の一つにさっそく裏切られることになった。海水を蒸留して真水を作ることができる「太陽熱蒸留器」を使って飲み水を作ろうとしたのだが、「順調にいけば一日900ccの真水を確保できる」と説明書には記されていたものの、やってみると、海上という環境からか、どうしてもできた水には塩気が混じってしまい、使い物にならなかった。
とはいえ、漂流中の飲み水の確保をいつ降るかわからない雨に頼るのはかなりリスキーだ。
キャラハンはタッパーの中に海水を含ませた布が入った空き缶を入れてビニールで覆って密封。太陽の熱で蒸発をした水分がタッパーの底に落ちるという仕組みを考案して、真水を得たという。自作の蒸留器である。
水を確保する算段がついたら次は食べ物だが、幸いにして水中銃を持っていた。それに、イカダの周りには絶えず魚がつきまとってきたという。その一つがシイラなのだが、この魚は漂流物にくっついてくる性質があるようで、イカダの周りには常に数十匹が泳いでいたそう。ただ、イカダを激しくつっつくため、乗っている人間は非常にイライラするのだとか。
そんなイライラに耐えきれなくなったキャラハンが狙いを定めずにやみくもに発砲したら、たまたま一匹のシイラに命中。イカダに引き上げてとどめを刺すための格闘が始まるのだが、うっかりモリで布製のイカダの底を突いてしまうと穴があいて一巻の終わりである。かなり神経を使う作業だったという、漂流ならではのエピソードが紹介されている。こうして捕獲したシイラやモンガラをそのまま食べたり、干物にしたりして命を繋いでいく生命力と創意工夫が圧巻である。
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手持ちのものでどうにかして食べ物や飲み物を得る、というのがこの本で紹介されている漂流者たちのエピソードの共通点だが、「ウミガメは子牛とチキンの肉にカニの肉を混ぜたような味」「人間と接触がない遠洋の鳥は、手づかみでつかまえられる」などの生々しいエピソードもあれば、「海水は飲めないが、浣腸の要領で肛門から注入することで、腸から水分を吸収させる」「魚の肉はしぼると塩気のない汁が出てくる」といった驚きの機転まで、どのエピソードも飽きさせない。
体験するのはゴメンこうむりたい一方で大自然のロマンも感じてしまう漂流。本書を通して少しだけ味わってみてはいかがだろう。(山田洋介/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。