30年目の結婚記念日。妻には、そこそこ良い服を着てくるようにだけ言っておいて、高級フレンチレストランを予約してある。今日は、妻を驚かせるハプニング・ディナー。ソムリエがシャンペンの栓を勢いよく開けた途端にテーブルの横のカーテンが開き、弦楽四重奏が素敵なクラシックの名曲を奏でる――。
まるで映画のロマンチックな一場面のようですが、実はこのような演出は誰にでも可能です。もちろん、料金はかかりますが、若い音楽学生ならお小遣い稼ぎとして、喜んで弾いてくれると思います。
コンサートホール以外でも、クラシック演奏家は結構、活躍しています。たとえば、結婚式場によっては演奏家が常駐していて、結婚式に色を添えてくれます。ちなみに、友人から聞いた話では、雇われるのは30歳くらいまでの若い女性奏者に限られているそうで、仕事がない若い男性奏者にとっては羨ましい話です。今はどうかわかりませんが、一般のイメージではハープ奏者といえば髪が長い女性で、実際に僕の学生時代には若いハープ奏者は髪の長い女性がほとんどでした。
そうやって一生懸命演奏してバイト代を稼ぎながら、オーケストラのオーディションを受けたり、演奏活動をしながら音楽教室を開いたりと、結婚式場などで演奏している方の背景はさまざまです。とはいえ、繰り返しになりますが、若い女性に需要がある仕事なので、ある程度の年齢になったら辞めていくことになります。
余談ですが、結婚式場の牧師・神父の仕事もアルバイトだと聞いたことがあります。こちらは演奏者とは逆に、人気があるのは50歳前後の男性。しかも、それらしく髭などでも生やしている白人であれば雇用されやすく、それだけで家族を十分養える給料をもらう人もいるようです。外国人の男性というだけで本物の牧師ではなく、式場から言われた通りに牧師を演じているだけでも、新郎新婦や参列者は感激するのです。
かくいう僕も自分の結婚式の前に、結婚式場から「牧師は外国人か日本人か、どちらにしますか?」と尋ねられて、「外国人で」と答えていたので、あまり偉そうにはいえません。料金も、外国人牧師のほうが高かったように記憶しています。
閑話休題、クラシック音楽はマイクもアンプもミキサーも必要なく、電気コンセントも探さずに演奏することができるので、実はかなり使い勝手がよいのです。もし、自分だけのためにオーケストラを一晩雇ってチャイコフスキーを演奏させたとしても、屋根さえあれば椅子と譜面台を並べてすぐに演奏開始できます。
「オーケストラなんて贅沢な」と思われるかもしれませんが、昔のヨーロッパの王侯貴族が自分のオーケストラを所有していることは、モーツァルトの時代くらいまでは一般的で、教会とともに音楽家の大事な就職先でした。君主の「静かな音楽を聴きたい」「もっと楽しい音楽を」といった気まぐれな要望に応じて、さっさと作曲してインクが乾くか乾かないうちに演奏していたほどです。
音楽家といえども、君主からすれば単なる使用人でしかないので、夜遅くに急に呼び出されるなど、仕事とはいえ気の毒なことも多かったであろうことは想像に難くありません。
カストラート歌手ファリネッリの悲惨な運命
そのように、音楽家がまだ使用人でしかなかった18世紀頃、カストラート歌手のファリネッリに関して、特に気の毒なエピソードが残っています。彼は、なんと20年間も子守唄を歌う羽目になったのです。カストラート歌手とは、7歳から11歳くらいの美しい声を持っている少年を、去勢により強制的に声変わりしないようにして、少年ならではの美しく高い声を残しながら、大人の男性の肉体も兼ね備えるようにした歌手です。
貧しい家庭の男の子が、両親の一攫千金の夢や口減らしのために、ヨーロッパでは多い時には年間4000人も去勢されたそうですが、実際に順調に歌手として成長できたのはほんの一握り。ほとんどは失敗に終わり、一生結婚もできず、それどころか当時の未熟な施術のために、感染症にかかって亡くなる子も多かったそうです。まだ、細菌やウイルスの存在も知られていなかった頃のことです。
そんななかで、数少ない大成功を遂げていたファリネッリ。1994年に公開された映画『カストラート』(ユーロスペース)でご存じの方もいるかもしれませんが、少年の澄んだ美声と大人の男性の力強い歌声により、大成功を収めた英ロンドンでは失神してしまう女性ファンも続出したといわれています。
そんな彼に1737年、転機が訪れます。それは、スペイン王フェリペ5世からの招聘でした。フランス王ルイ15世の叔父にあたるフランス出身のフェリペ5世は、戦禍の中で生き抜かなくてはいけなかった過酷な運命のせいか、晩年、躁うつ病にかかってしまいます。睡眠障害にも悩まされていた王は、当時としてはものすごい大金でファリネッリを雇いました。しかし、彼に与えた仕事といえば、多くのスペイン国民に歌声を聴かせるわけではなく、毎晩、王の寝室で、まったく同じ4曲を歌うことでした。王が眠るまで歌い続けなくてはいけないという苦役が、なんと20年間も続いたのです。
つまり、スペイン王は子守唄を歌わせるためだけに、大金を払って大スター歌手を雇ったわけですが、上には上がいます。それは19世紀ドイツのバイエルン王・ルードヴィヒ2世です。自分が心酔するワーグナーのオペラを聴きたいがために大規模なオペラ劇場をつくっただけでなく、この人間嫌いの王は、時には大勢の歌手やオーケストラに演奏させて、たった1人で客席を貸し切りにしてご満悦だったようです。さらに、城を3つも建設するなど散財し、当然ながら国家予算は傾き、退位されられた直後に謎の死を遂げることとなります。
実は、かのベートーヴェンも少年時代、とても美しい声を持っており、カストラートにされかけたといわれています。危うく男性機能を失うところでしたが、そのときに父親が反対しなければ、『運命』や『第九』は作曲されていなかったでしょう。ちなみに、カストラートは1878年、ローマ教皇レオ13世によって禁じられました。
(文=篠崎靖男/指揮者)