これからの時代において、人々を導くリーダーに必要なものは一体なんだろうか。
行く先を見通す力、決断する力、人から注目される力など、さまざまな要素が思い浮かぶが、認知科学者・苫米地英人氏の答えを聞くと、意外と思えるだろう。
それは「慈悲」だ。
苫米地氏は仏教徒であり、天台宗で得度をしており、法名も持っている。そんな苫米地氏の仏教観とともに、21世紀を生きていくリーダー、そして人間に必要な「慈悲」について説明されているのが、『近未来のブッダ 21世紀を導くリーダーの鉄則』(サンガ刊)である。
■「慈悲」とは一体何か?
では、「慈悲」とは一体なんだろうか。
ほとんどの人は、「慈しみ」と「悲しみ」という言葉で構成された熟語と捉えるだろう。しかし、苫米地氏は「漢訳の慈悲は問題」だと指摘する。
人間の脳の中でも進化している大脳新皮質の中にある「前頭前野」。記憶や学習に深く関わり、抽象的な思考などを司る。「慈悲」はまさにその「前頭前野」で起こること。つまり、苫米地氏の言う「慈悲」は非常に抽象度の高い思考が必要だということになる。
一方で漢訳の「慈悲」は、誰か特定の存在に対する哀れみ、情動的な意味合いが強い。つまり、その意味は正反対にも思えるほどに遠いのだ。
苫米地氏の指摘する本来の「慈悲」の意味は英語の「compassion」(コンパッション)が近い。つまり、「パッションを共にする」、つまり目線を合わせて感情を通じ合わせるということになる。
私たちは特定の誰かに執着し、呪詛の言葉を投げたり、自分に従順な人だけに優しくしてしまいがちだ。また、人から好かれたいがために思いもしない褒め言葉を言ってみたりもする。
「自分」を中心に考えること、「自分」の利を考えること。意識に「自分」というものが入り込んでくると、その時点で「慈悲」ではなくなる。つまり、「自分以外」を徹底し、他人のために行動することが「慈悲」なのだ。
■人々を「ゴール」へと導くために必要なこと
本書を読むと、「慈悲」は高いIQによってこそ知ることができる世界であることが分かる。誰かの特定の感情や情動など気にしてはいない。もっと広い範囲――人類全体、そして生物全体にその目を向ける。
例えば、「世界の戦争と差別をなくす」という目標を掲げ、行動することも、「慈悲」だ。実はこれは苫米地氏自身が掲げている「ゴール」である。
とはいえ、いくら人類全体に目を向けたとしても、大衆の意識とかけ離れていれば、ゴールに向かうための説法は見向きもされない。
ブッダは「四つの苦をなくす」という大衆のニーズに沿って教えを説いたが、ニーズの変化に合わせて説き方もバージョンアップすべきだと苫米地氏は指摘し、現代は楽しさや快適さを享受できている人たちに応える「一緒に楽しみましょう」でいいと述べる。
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本書は「慈悲」をテーマにした一冊だが、注意しなければならないのは、本書を読んだだけで「慈悲」に辿りつけるということはまずありえないということだ。
どんな人間であっても、利己的な考え方から抜け出すことは難しい。もちろん「慈悲」に近づくためにすべき瞑想や考え方なども本書で説明されているが、その先に進むためにどんなことが待ち受けているのかは想像できない。
とはいえ、本書で語られていることは、21世紀を生きるためのリーダーにとって必要な資質であり、考え方であることは確か。これまでのリーダー論とは一線を画す、多くの人間にとって役立つ一冊である。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。