甲子園最多勝監督(通算68勝)である、智辯学園和歌山高校野球部の前監督・高嶋仁氏の人生を描いた『一徹』(インプレス)が4月に刊行された。選手時代を含めると60年近くグラウンドに立ち続け、多くの選手たちを指導してきた名監督の人間像はどのようなものか。15年もの間、高嶋氏を追いかけてきた著者でフリーライターの谷上史朗氏に話をうかがった。
智辯和歌山に監督室がない理由
「甲子園の常連校となればほとんどの場合、グラウンドにいわゆる監督室的なものがあり、監督さんはノックの合間などにはそこから練習を眺めたりもします。しかし、智辯和歌山にはその種の部屋がありません。高嶋さんが求めなかったからでもあり、夏でも冬でもグラウンドから選手たちを見ていました」
甲子園では“仁王立ち”で有名だった高嶋氏は、練習中のグラウンドでも仁王立ちで選手の一挙手一投足に目を光らせていたのだ。
「野球に関してはブレず、思い込んだら何があってもやり通す人です。監督退任については大いに迷っており、“一徹”の像が崩れかけましたが、逆に言えば人間臭さを感じました」(谷上氏)
高嶋氏は昨夏の甲子園大会後に退任を発表、智辯和歌山並びに智辯学園高校の野球部名誉監督に就くことを明らかにした。辞めるか続けるか、高嶋氏は何度も迷ったが、そのあたりにも谷上氏は切り込んでいる。
「スパッっと辞めれば潔く映ったかもしれないが、自分が生きてきたグラウンドを離れるさびしさは本人でなければわからないでしょう」(同)
退任時、高嶋氏は72歳。50代や60代なら、辞めても他校からオファーがあるだろうが、70代となればそうもいかない。加えて、体力的な問題もあっただろう。「本格的な野球人生の終わり」というさびしさも、本書から読み取れる名将の葛藤だ。
都合のいいところだけ切り取った薄っぺらなものにしたくなかった、とあとがきにある通り、本書から感じられるのは「名監督の人間味」である。
昨今のスパルタ指導否定の空気に一石
野球に限らず、昨今はスパルタ指導が問題視されている。体罰などもってのほか。叱咤さえ許されない。立場的に優位な指導者が少しでも叱れば「パワハラだ」と指摘されかねない。スポーツ界のみならず、社会全体がそうした風潮の中にある。
もちろん体罰を肯定するわけではないが、若い頃に厳しく叱咤激励された経験を経て我慢強さが育まれることもあるだろう。そう考えると、スパルタ指導も100%は否定できないと感じる。なぜなら、理不尽な思いを経験することができるからだ。理不尽を経験するほど、人間は我慢強くなれる。
智辯和歌山の野球部が1学年10人制となって四半世紀以上が経つ。この間の野球部員は250人を超えるが、中途退部した部員はわずか1人だという。高嶋氏のムチに愛があればこそ、部員は高嶋氏についてきたのだ。そのあたりについて、高嶋氏は次のように語っている。