「できなかったことを叱るよりも、いいところをほめて育てる」という方針は、教育分野ではすっかり主流になった。
その影響で「叱る」のは、以前と比べるとずっと勇気のいる行為になり、反対に「ほめる」ことはずっと気楽なったわけだが、当の「ほめられる側」は、そのことをどう考えているのだろうか。
もちろん、どんな人にも承認欲求はあり、子どもでも大人でもほめられること自体はうれしい。しかし、「無条件に」というわけではない。『先生、どうか皆の前でほめないで下さい―いい子症候群の若者たち』(金間大介著、東洋経済新報社刊)からは、大学教育の現場で起きている学生たちの意識の変化が垣間見える。
なぜ学生たちは「匿名」を好むのか
著者であり、東京大学未来ビジョン研究センター客員教授の金間大介氏が教育の現場で日々接している学生たちのメンタリティを理解するために、「匿名性」という言葉が役に立つ。
学生たちは、授業の時間に教室にやってきて板書やスライドはノートにきちんと写すし、大事なところには下線を引く。一見すると真面目で意欲的だ。しかし、わからないことがあっても質問はせず、講師がまちがったことを言っても指摘しない。当然、議論にも発展しないため、授業の活気には欠ける。
では、学生たちは本当に質問や意見がないのかというと、そんなことはない。ある「条件」をつけると講師のところには質問が続々と寄せられるという。それが「匿名」である。
金間氏によると、スマホアプリを利用して講義中に投げかけた質問に匿名で答えられるようにすると、質問やコメントが続々と届く。口頭で質問しても無反応だったのに、質問や意見の主体として自分の存在が周りに認識されない環境を作ると、学生たちはリアクションをするのである。
ほめられても喜ばない学生たち
学生たちのこうした行動特性とメンタリティの背後にあるものは「周囲の中で目立つこと」への恐怖だと本書は指摘する。
ここで冒頭の「ほめる」の話に戻ろう。ほめられること自体は、おそらくほとんどの学生は悪い気はしない。ただ、みんなの目の前でほめられると、どうしても周囲の中で目立ってしまう。それは嫌だ…。
金間氏は実際に、ほめた学生から「どうか皆の前でほめないで下さい」と言われたことがあるという。そして、人前でほめられ続けるとどんな気持ちになるかと複数の学生に尋ねたところ「ひたすら帰りたくなる」という答えだった。彼らにとっては人前で叱られることは嫌だが、人前でほめられることも、仲間の中で目立ってしまうという理由で嫌なのだ。
その根底にある心理の一つは、先述の通り「目立つことへの恐怖」である。自分がほめられているのを聞いた他人の中で自分が強く印象づけられることに、今の学生は強い抵抗感を持つ。
そしてもう一つ「自己肯定感の低さ」も本書では指摘されている。能力面で「自分はダメだ」と思っている状態でほめられると、かえってプレッシャーになってしまうというのは、学生に限らず社会人であっても心当たりがある人が少なくないかもしれない。自信がないために、ほめられることを素直に受け入れられないのである。
こうした精神的傾向を知らずにほめてしまうと、ほめられた方はやる気になるどころか萎縮してしまう可能性もある。「叱る時は皆の前ではなく、個別に」とはよく言われるが、ほめる時も実は同様なのかもしれない。
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自分の提案が採用されるのが怖い学生、キャンパスで浮いてしまうことを恐れる学生、競争を避け続ける学生。今の学生たちに見られる心理や言動を『先生、どうか皆の前でほめないで下さい―いい子症候群の若者たち』は、教育の現場で得た知見から紐解いていく。
タイトルにある「いい子症候群」とは一体何を指すのか。教育やマネジメントに携わる人、子育て中の人は、役立つ知見が得られる一冊だ。(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。