『戦艦武蔵』『関東大震災』『破獄』など、多くの名著を残した作家・吉村昭(1927-2006)。
吉村昭とはどんな人物だったのだろうか。
「ゴルフや運動、講演などは執筆の妨げになる雑事とみなし、日々の生活も波風が立たないように心がけ、トラブルを遠ざける」
「一流料亭より縄のれんの小料理屋を好む」
「取材のためのタクシー代には糸目をつけない」
「世話になった遠方の床屋に半日かけて通う」
こうした逸話から分かるように、合理的だが義理人情に厚く、公私ともに独自のスタイルを貫いた人生を歩んだ人物だった。
そんな人生哲学を日常、仕事、家庭、余暇、人生の5つの場面ごとに、彼の紡いだ言葉によって紹介するのが『吉村昭の人生作法』(谷口桂子著、中央公論新社刊)だ。
お世話になった人への恩義を忘れない
吉村は世話になった人への恩義を忘れない人物だったという。その一人が床屋の佐々木さんだ。
20歳のときに喀血した吉村は、絶対安静の肺結核の末期患者となった。当時の結核は死の病といわれた伝染病。見舞いに来ても家に入らずに帰る友人もいた。
そんな中、佐々木さんはためらうことなく吉村の髪を刈りに来てくれたのだ。そして、手術を受けて健康を取り戻し、結婚して郊外に住むようになっても、吉村は片道1時間半以上かけて佐々木さんの店に20年以上通った。
太宰治賞を受賞し、出版社から依頼も来るようになり、半日かけて通う余裕がなくなったときも、黙って行かなくなるのではなく、佐々木さんに電話をかけて事情を話し、礼を言ったという。吉村の義理堅さが見えるエピソードだ。
「酒の飲み方」には厳しい戒律が
また、彼の唯一の趣味が酒だったが、その飲み方にも決め事があったという。
楽しく飲むためには、酒によって体調を崩し、仕事に支障が出ることはあってはならない。そのためには厳しい戒律が必要で、それを守ってこそ酒は「無上の愉楽」となるのだ。
まず、飲む時間は日没からと決まっていた。さらに、うまい肴で酒を味わうのが好きだったが、その味をとやかく言うのははしたないという哲学があった。「酒席では波風を立ててはならない」というルールもあり、話題は旅や食べ物など他愛もないものを選んだという。
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名作を残した作家がどんな人生哲学を持っていたのか。本書で紹介されているさまざまなエピソードからその人柄や人生作法が見えてくる。作家は創作という非日常を生きるが、吉村は同時に日常を大切にした生活者でもあった。その「人生の流儀」を学ぶことは、私たちにとって生きる上でヒントになるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。