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下級兵卒の手記から知る日本史の名場面「関ヶ原の戦い」隠れた真実

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『関ヶ原 島津の退き口 義弘と家康 知られざる秘史』(桐野作人著、ワニブックス刊)
『関ヶ原 島津の退き口 義弘と家康 知られざる秘史』(桐野作人著、ワニブックス刊)

 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて、石田三成率いる西軍は徳川家康率いる東軍に敗れ、西軍は各部隊が敗走することになる。西軍が敗走するなか、島津義弘率いるわずかな軍勢は故国を目指し、敵中突破を敢行する。その決死の軍事行動は「島津の退き口」と呼ばれ、今も語り継がれている。

知られざる「島津の退き口」の真実

 『関ヶ原 島津の退き口 義弘と家康 知られざる秘史』(桐野作人著、ワニブックス刊)では、歴史作家の桐野作人氏が、残された兵士の手記をはじめ、数多の史料をひもとき、下級兵卒の低い視線と島津義弘の政治行動という二重構造の構成をとり、なぜ、かくも少数の将兵のみで関ヶ原に参戦していたのかという疑問、義弘と家康のじつは密接な関係、退き口を彩った人物などに触れ、世界史でも前代未聞の前進退却戦の全貌を解説する。

 平安時代後期から明治時代はじめまで、島津家史料を中心に膨大な薩摩藩内関係史料を編年順や家ごとに集成した『旧記雑録』という史料がある。これは江戸後期から幕末維新期に薩摩藩の記録奉行をつとめた伊地知季安・季通父子によって、収集・編纂された一大史料集であり、『鹿児島県史料』という形で相次いで刊行されている。近年、『島津家文書』は国宝に指定されたが、『旧記雑録』も重要文化財に指定されている。

 そのなかで、関ヶ原合戦前後の文禄5年(1596年)から慶長9年(1604年)までを取り扱っているのが『旧記雑録後編三』だ。この1000頁近い分厚い史料集には関ヶ原合戦、島津の退き口について多くの記載がある。

 そこには、合戦に従事し、退き口に加わり、幾多の困難を乗り越えて帰還した者たちの書上や覚書が多数収録されている。前近代の合戦では、家老や譜代重臣クラスの武将から郎党や小者クラスの下級兵卒まで多数の手記が残っているケースは珍しい。

 なぜ多数の従軍記が残されたのか。それは、義弘に付き従って帰国した者はほとんど何がしかの加増を受けており、自分の軍功と忠節を誇り、それを家の栄誉として子孫に伝えようという個人的動機があったからだ。

 下級兵卒の手記には、退き口の最中に船唄を皆で唄ったら義弘が腹を立てたなど、武将の政略や軍略の次元とは異なり、目線が低いため、当時の細部の面白さや臨場感が伝わってくる記載が多い。本書では、これら下級兵卒たちの残した手記から「島津の退き口」の実態の一端を詳細に描きつつ、島津義弘にとって関ヶ原合戦はどんな意味があったのかを説いていく。

 下級兵卒の目線から「島津の退き口」を知ることで、よりリアルに歴史を感じることができるはずだ。(T・N/新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。

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