韓国では98年に金大中が大統領に就任した前後から、女性の社会進出をサポートするための法律が多数つくられてきた。女性たちの優先的登用を促進するための女性発展基本法や、女性経営者だけを支援する女性企業支援法などがその一例だ。ただし、現実は簡単には前進していないようだ。各種、女性を支援する法律の制定から10数年が経過したが、女性の活躍の場は極端に制限されていると結論せざるを得ない。
今回、そんな韓国の現状を知るひとりの韓国人女性が、韓国国内の企業やグローバル企業で働いてきた経験を語ってくれた。世界で名車と認知されているアウディの韓国法人で、かつて最年少役員に上り詰めたイ・ヨンギョン氏だ。伝統的に男性の職種といわれてきた自動車業界で、彼女はどのようにチャンスをつかんだのか。また、グローバル時代に企業が変化を遂げていく中、女性たちにはどのような可能性があるのか。彼女への取材から、アジア女性の新しい働き方を模索したい。
自動車産業は長らく男性の聖域というイメージが強かったですが、現在では米GMのCEOに女性が抜擢されるなど、変化の兆候が見えます。これから先、女性であるメリットを生かせるとしたら、どのようなビジネスシーンでしょうか?
「自動車は最先端技術が集約された理性的な製品であると同時に、所有者のライフスタイルを最もはっきりと表現してくれる感性的な製品です。また、人類史における発明品の中で、この2つの要素の調和が最も必要な製品だと思います。そのため、経営の現場でも感性と理性を繋げることができる人材が必要とされています。例えば、顧客にアプローチする時。まずは車の仕様を論理的に伝えることも必要ですよね。また同時に、“かっこいい”“かわいい”“乗ってみたい”など、感性にストレートに訴えかけることも必要になってきます。この2つの要素をつなげるためにコミュニケーションを必要とするセクション、例えば広報やマーケティングなどの職種では、女性の能力を存分に生かせると思います。現在では男性ドライバーと同じくらい女性ドライバーも増えています。今後、車に対する既存の価値観は転換される地点に来ているので、女性の力を必要とするセクションは増えていくのではないでしょうか」
韓国企業では、女性の昇進や出世が難しいという国際的な統計があります。イさんは、韓国企業で働いていたこともあるそうですが、女性であることにデメリットを感じたことはありますか?
「社会生活をするに当たり、国ごとの文化的価値観が、働く女性の地位に影響を与えるのは事実だと思います。韓国には、学閥や血縁を重視する独特な文化があります。そのような文化は、企業の発展において長所である半面、短所でもあります。わたしは、33歳で幸運にもアウディ・コリアで理事の職に就くことができました。それは韓国では異例なことで、グローバル企業だったからこそ可能だったと思います。ただし、そのアウディで働いていた時も、実際は韓国国内で働いていたため、“女性だから”とか“年が若いから”などの偏見で、仕事の成果を純粋に評価されないこともありました。詳しくないので明言はできませんが、日本の企業に勤めている女性の中にも、そのような思いをしている方々がいると思います。ただ時代は変化しつつあります。仮にわたしたちが住んでいる場所がアジアでも、消費する多くのものがグローバルに生産され、流通している。そのような環境の中では国境や価値観、性差もますますボーダレスになっていくと思います。“女性には自動車業界は合わない”とか“男性に化粧品会社は合わない”という先入観は捨てた方がいい。挑戦できるのに、自ら道を閉ざす必要はどこにもありません。一方で、女性たちの方でも組織に対する認識を改めていかなければならないとも思います。企業は利益を生むための集団であるし、仲良くしていれば結果が伴うというわけではありません。時には、戦うことも必要でしょうし、男性たちと同じ価値観を共有しなければならない部分もあると思います」
アウディ・コリアで理事として活動していた時に、人事にも携わっていたとお聞きしました。現在、グローバル企業ではどのような人材が望まれているのでしょうか。もし、イさんが面接をするとして、どのような人材を選びますか?
「履歴書などに書かれた能力が大事なのは否定できません。ただ、そのような書類上の資格よりも、与えられた仕事をこなすことができる人材かどうかが重要になってきます。企業の特性に合わせて、成果をつくり出すことができるかどうか。それがすべてだと思います。わたしが採用した社員の中には、試乗車の駐車係から正社員になった人もいます。彼は学歴や資格が最優先される韓国社会で目立った経歴もありませんでしたが、責任感と向上心で周囲に認められました。逆に、学歴や資格を多く持っていても、結果や忍耐力が伴わない人材も多々いました。そういうさまざまなケースを見てきた結果、わたしは面接の時に、仕事や組織に対して誠実になれるかどうか、その姿勢を重要視していたと思います。加えて、少しでも成長しようという向上心があるかどうかを、採用の基準にしていました」
グローバル企業に就職したいと思っている人材に求められる能力とは、具体的にはなんでしょうか?
「やはり英語や外国語の能力は基本。あまりうまい例えではないかもしれませんが、“口げんかをして勝てるくらいの会話力”が必要だと思います。ただ、それよりも重要なのは、他の文化を理解する能力です。グローバル企業内では多様な国籍と背景を持った人々と共に仕事をしますし、外国の企業相手に商談を進めることも少なくないので、異文化に対する許容力が成果を左右します。例えば、ヨーロッパの文化では商談の際、意見を調整する時はストレートに要求をぶつけ、お互いにとって良いこと、悪いことを突き詰める文化があります。個人的な体験で言うと、ドイツのアウディ本社で初めてディスカッションをした時に、あまりにストレートな物言いに不快感を覚えたことがありました。ただ、後にそれは彼らのスタイルであり文化だと理解するようになりました。対照的に普段は非常にフレンドリーで、仕事に私情を持ち込まない。端的に言えば、非常に合理的なのです。一方で、アジア地域、特に韓国や日本では相手に配慮して、拒否する時でも遠回しに伝えたり、はっきり言い切らない場合が多い。そういった文化の差を読んで適応できる能力が、グローバル企業で必要になってきます」
イさんは、韓国でほとんど無名だったアウディの認知度を高めることに成功されています。マーケティングや広報のスペシャリストとして、最も重要視している哲学やテクニックはなんでしょうか?
「わたしは、マーケティングや広報をする人間にとって必要な姿勢は、自社ブランドや製品に対して自信を持つことだと思っています。当たり前のことですが、自分が宣伝するものに確信がなければ、出発点に立てません。もうひとつは、消費者の心や感性を動かすこと。わたしが自動車業界に入った時、韓国のモーターショーでは女性モデルを起用することが慣例になっていました。しかし、口コミを広める力を持っているのは男性よりも女性ですよね。男性客に連れてこられた女性客たちは非常に退屈そうでした。女性たちを飽きさせず楽しませれば、プロモーション効果も期待できるのではないか。そう考えて、わたしは男性ファッションモデルを起用することにしました。結果的にアウディブースの口コミが、女性客たちの間でものすごい速さで広がっていき、認知度を高める契機になりました。そのように、消費者の動向やトレンドを把握して、いかに相手の心を動かすことができるかを常に考えるようにしています。」
これから先、アジアの女性が企業の前線に立つことも増えていくと思います。加えて、女性たちの人生における価値観自体も徐々に変化を遂げていくと思います。イさんにとって仕事とはなんでしょうか?
「わたしにとって仕事とは、自分のアイデンティティーを表現する手段であり、自己実現のための方法のひとつです。人生のかなり重要な部分を占めます。仕事で結果が出た時はもちろんうれしいのですが、それ以上にうれしいのは、人の成長を手助けできた時です。数年前、アウディの社会貢献プログラムの一環として、韓国の工業高校の学生たちをドイツ・アウディ本社に連れて行ったことがあります。韓国では技術者の評価が低いため、工業高校に通う学生たちは胸を張って堂々とできない面があるのですが、ドイツのマイスター制度や技術者の社会的地位を見て、自分たちの未来に具体的な夢を持つようになったと言ってくれました。女性と仕事というテーマは、これから先、さらに多くの女性が追求していくことになると思いますが、わたしは文化を分かち合うことや、若い世代に世界の広さを見せてあげること、新しい発見と大きな感動を提供することを追求していきたいと思っています」
日本の読者へのメッセージをお願いします。
「わたしが、グローバル企業で働きたいと思った契機のひとつには、日本での生活がありました。当時13歳だったわたしは、日本でのホームステイ生活に好奇心を刺激され、いつかもっと大きな世界で生きていきたいと思うようになりました。今でも、精神的に疲れた時や原点を顧みたい時には、日本での体験が自然と思い出され、新しい行動を起こす原動力になってくれます。日本、韓国の女性たちには、働く企業がどこであれ、好奇心と冒険心にあふれた人生を歩んでほしい。そう伝えたいです」
●イ・ヨンギョンさんプロフィール
マスターカード・コリア、バーソン・マーステラ・コリアなどで広報マーケティング業務に携わり、02年にアウディの輸入自動車販売業者に転職。04年夏のアウディ・コリア発足とともに同社に転籍。アウディ・コリアが現地採用した正社員第1号となる。08年3月には入社45カ月・満33歳の若さで最年少役員となる。また同年には世界59カ国のアウディ各支社のマーケティング活動を評価する「アウディ・コミュニケーションズアウォード」において、イギリス、カナダに次ぐ世界3位・アジア1位のマーケティング担当者という栄誉にも輝いた。2013年1月にアウディ・コリアを退社。現在は、次なるステージに挑戦すべく充電中。
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