あの異色ブロガーが、“しょっぱい”出版ビジネスの闇に挑む
●大企業or中小企業
ーー本書では「超大企業と未上場ベンチャーの違い」という一節があり、できること/できないこと、メリット/デメリットが対比されています。
村上 僕は別に「大企業がいい」「いやいや、中小企業がいい」とどちらかに肩入れするつもりはなくて、どちらにも良いトコ、悪いトコがあるよね、と言いたいだけ。大企業がいいか、小さなベンチャー企業がいいかなんて、人によりけりだから。欲をいえば、どちらも経験しておくといいかも、とは思う。どちらにせよ、軽々しくウソをつくクセ、ハッタリをカマすクセをつけず、法律を守って仕事をする意識を持つことが重要だったりしますよね。
ーー村上さんのお話を伺って、一見、はちゃめちゃなようで、実は非常に折目正しい印象を強くしたのですが、ご自身で考える自分の強み、自分のこだわりとは?
村上 そうだなぁ……「最終的には、お客さんのことをいちばんに考える」ところかな。働くのは、世のため人のためだと考えているので。自分の書いたプログラムを使ってくれるお客さん、末端のユーザーさんのことは、最後の最後にちゃんと考えて、ハズさないように作るとか、そういう意識はとても強いですね。
でも、そんなに難しいことじゃないですよ。たとえばプログラムなら、自分の書いたプログラムとお客さんの求めることをつなげるときに、そんなに凝ったことは必要ない。プログラムなんて俳句みたいなもので、無駄なものをそぎ落としていくと、非常にシンプル。それこそ「五・七・五」ですべて語れるくらいのことで。これは、僕がプログラマーだからというだけじゃなくて、どんな仕事にも通底するように思います。
とかくプログラマーは技術そのものが大好きで、面白いから、そこにハマってしまって、お客さんのことを考えられなくなってしまうんですよ。僕も若いときはそうだった。「ここのアルゴリズム、すごいんですよ。なんと………47行! 短いでしょ」「これまで7秒かかっていたローディングが、なんと………5秒になりました!」とか自慢するような。でも、それってお客さんにとってどれくらい大事なの、と。
●技術は生身の人間が使う
ーー最も重要なのは、相手は温かみのある、生身の人間であることを忘れない、ということでしょうか。
村上 そうですね。僕は若いとき、家電メーカーにいたわけですが、たまにサービスセンターとかお客様相談センターから声が回ってくるんですよ。「動かない」「使いづらい」とか、ありがたいご指摘がいろいろ(苦笑)。若いころは本当に技術ばかり追い求めていたところがあったけど、そういう声を聞くと「ああ、自分の作った技術は、生身の人間であるお客様が使っているんだな」という至極当たり前のことに、あらためて気付かされたりするんですよね。
ネット企業でも同じで、ややもすると、お客様をメールやアクセスカウンター、アクセスログでしか把握していないような一面がある。でも、使っているのは生身の人間ですから。そういうことをリアルな感覚として意識できるかどうかは、どんな仕事でも大事でしょう。
あと、最初の会社を辞めて、人生に疲れて、しばらくオーストラリアでプラプラしていた時期があるんですが、それまでデジカメの開発に関わったりしても、自分でパチパチ撮ったりすることがなかった。友達も少ないし、外に遊びにもいかないし。
そんな男が、人生で初めて長期の海外滞在をして、観光地とかでいろいろな人が、自分が開発に関わったデジカメを使って家族や友達と楽しそうに写真を撮っているところを、初めて目の当たりにしたんです。「こんなクソ会社、辞めてやるわー」なんて勢いづいていたけど、自分が携わったカメラを大事に抱えて、家族で旅行に行って楽しく写真を撮っている人たちがいて、そのカメラで撮った写真は家族の思い出になっていき、家族のアルバムの一枚に加えられ、結婚式のスライドに使われて、そして、「おばあちゃんって、若い時きれいだったんだね」と孫に言われる……なんて物語を意識したら、あらためて、自分のしてきたことって何だったのだろう、と考え込んでしまったんですよ。
自分がプログラムしたSDカードのドライバで書き込んだデータが、この人たちの人生を刻んでいくんだな、なんて思ったら、なんだか泣けてきて。「47行です、5秒です」という世界もあるんだけど、基本的に技術というのは世のため人のためにあるんだな、と。そのときに痛感したんです。
そんな経験が、自分で何かモノを作るのであれば、人を喜ばせてナンボだな、という考え方の源になっている。文章を書く場合でも、どこかにそういった思いを抱いて筆を進めているように感じます。