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山田厚史「日経新聞の“正しい”読み方 第2回」

バブルを煽り、企業の御用メディアに成り下がった日経の醜態

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9月5日付日経新聞
「日経新聞は一応とっているけど、結局テレビ欄しか見ない……」というビジネスマンは多いはず。そんな、日々仕事にプライベートに忙しく、ゆっくり日経を読む時間のないビジネスマンのために、元全国紙経済部記者で、現在は「AERA」「ダイヤモンドオンライン」などに寄稿するジャーナリスト・山田厚史氏が、最近の日経記事の中から気になる記事をピックアップし、その内容と報道の“カラクリ”を解説します。

「日経がしていたことをお忘れか……」

と、突っ込みを入れたくなるような記事に出会った。8月17日付同紙朝刊、「日曜に考える」ページに載った「経済史を歩く・日経平均最高値(1989年)バブルの絶頂」である。嘘は書いていないが、本質を曖昧にする日経的な記事だった。

 北沢千秋編集委員の署名で、89年、東京証券取引所の大納会が終値で3万8915円を付けた頃の、「バブル発生と崩壊」を振り返った読み物だ。

 筋書きはこうである。
 
 発端は85年のプラザ合意。貿易不均衡の解消を迫る米国から、日本は円高を求められ、応じた。日銀は5回の利下げをし、大蔵省(現財務省)は景気刺激策の予算を投じた。膨張したマネーで株価は上昇、資産価格が急騰した。

 主役は企業の財テク。増資などで資金を調達し、株式市場に再投資して運用する。カネがカネを生む膨張の連鎖でバブルに。投機の受け皿は、いわゆる財テクとして流行った金融商品「特金・ファントラ」「営業特金」。証券会社は、「これからはこういう銘柄が儲かる」というシナリオを勝手にでっち上げ、関連銘柄を推奨しまくる「シナリオ営業」「推奨銘柄大量販売」で相場を煽った。そして、米国で起きたブラックマンデーを転機として、大蔵省は企業の損失を表面化させないよう会計基準を緩めたが、それが企業の隠蔽体質を助長し回復を遅らせたーー。

 これまでいわれてきたことを、そつなくまとめた記事だ。新味はないが、バブルを知らない世代には「そんなことだったのか」と参考になるだろう。だが、「これで経済史を歩く」なのか。 

財務省にすり寄る日経

「他人事みたいに書いているけど、日経は無関係だったの?」と言いたい。

 バブルの始まりとされる85年は、「日経平均株価」が導入された年である。一緒にやってきたダウと袂を分かち、日経新聞社が東証一部上場1700社から225銘柄を選んで指数を発表することになった。この日経225は、先物取引として投機マネーに博打場を提供した。

 日経225の商売を補完する装置が、新たに発行された日経金融新聞と、投資情報を売る日経クイック。日経はジャーナリズムというより情報を切り売りするビジネスへと舵を切る。金融で商売をすれば役所と無関係であり得ない。財務省にすり寄り、クイック社のトップに天下りを受け入れた。

 記者クラブという特権を生かし、いち早く入る情報をデータとして売るようになる。権力や産業の監視者より、情報の仕入れ販売がカネを生み、日経ブランドは輝いた。