(「富士通HP」より)
みずほ銀が現在使っている勘定系システムは富士通製だが、次期のシステム開発は4社体制で進めることになった。メガバンクのシステムは大規模で、年々複雑になっている。ハードウェアの調達とアプリケーション(=プログラム)の開発を分離し、さらに預金、融資といった機能別に分割発注する。開発費は2500億円前後となる見通しだ。
勘定系システムの中核をなす流動性預金のメインフレーム(=大型コンピュータ)は日本IBM製を使う。流動性預金のアプリケーション開発は、富士通に委託する。流動性預金以外の融資と外為は日立、信託については日本IBMに任せる。定期預金と営業店との接続は富士通、全銀システムへの接続はNTTデータに発注する。
みずほFGの3行が現在使っている勘定系システムの担当ベンダー(=コンピュータメーカー、ソフトウェア会社)は、みずほ銀が富士通、みずほコーポレート銀が日立、みずほ信託が日本IBMだ。次期システムが完成したら3行は現行システムを廃棄するが、ベンダー3社はみずほ銀からの仕事を、これからも継続できたことになる。みずほ銀での富士通の独占が崩れたことになるが、これはいわゆる政治決着だろう。
みずほ銀は、これまでにも2回、システムの障害を起こしている。
1回目は02年4月1日。第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行の3行が合併して誕生した、みずほ銀は営業初日にATMの障害が起きた。さらに公共料金の自動引き落としなど口座振り替えに遅延が生じるなどトラブルが拡大。4月5日には遅延数は250万件に達した。この混乱は1カ月以上続いた。
システム障害の原因は3行のシステムを一本化する過程で方針が決まらず、システム統合のスケジュール・統合作業が遅れたことだ。テストの開始も当然、ずれ込み、十分なテストを行わないまま、ぶっつけ本番で開業してしまった。
端的にいえば銀行とベンダーがタッグを組んで演じた主導権争いが、システム障害の最大の原因だった。基幹システムは第一勧銀が富士通、富士は日本IBM、興銀が日立を使っていた。
富士銀が採用していたIBM製のシステムのレベルが高いことは分かっていたが、第一勧銀が富士通をゴリ押して、“政治的決着”に持ち込んだ。富士銀は、当時、傘下の安田信託銀行の経営危機説が噴出しており、経営陣が第一勧銀の主張をはねつけることができなかったという裏事情がある。