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日本電産、シャープ元社長を招聘の狙いは?挫折体験を評価、ポスト永守体制への布石か

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日本電産本社(「Wikipedia」より/Jo)
 超小型モーター世界最大手の日本電産は、10月1日付でシャープの片山幹雄元社長(56)を副会長執行役員に迎える。片山氏は現在務めるシャープのフェロー(技術顧問)を9月1日付で退任し、日本電産の顧問に就任。10月から技術部門のトップ、最高技術責任者(CTO)を兼務する。2015年6月の株主総会を経て代表権を持つ取締役副会長になる。永守重信社長兼最高経営責任者(CEO、69)は10月1日付で新設する会長を兼務する。

 日本電産は自動車関連に加え、介護ロボット分野などにも進出する意欲を示しており、片山氏は次世代部品の技術開発を担う。片山氏に期待するのは技術力だけではない。永守氏は経営者に必須の条件として「経営判断を重ねて蓄えた成功や失敗の経験」を挙げる。片山氏の経営者としての挫折体験を買ったという見方が強い。

 片山氏は1981年、東京大学工学部を卒業後にシャープへ入社。液晶事業の技術畑を歩き、98年に40歳で液晶事業部長に就いた。シャープが液晶テレビに軸足を移すなか、取締役、常務、専務と速いスピードで昇進し「プリンス」ともてはやされ、2007年4月に49歳の若さで社長に就任した。

 シャープの創業者はシャープペンシルを発明した早川徳次氏。早川氏に少年時代から育てられた佐伯旭氏が、高度成長期に経営を任されて2代目社長になった。一介の町工場にすぎなかったシャープを家電メーカーに育てた佐伯氏は“中興の祖”と呼ばれた。これ以降、佐伯氏の縁者がトップに就く。3代目社長の辻晴雄氏は佐伯氏の娘婿の兄。4代目社長の町田勝彦氏は娘婿だ。5代目社長の片山氏は父が佐伯氏と親交があった。2代目から5代目社長まで全員、佐伯氏と深いつながりを持っていた。

●シャープ、栄光と挫折の歴史

 営業畑出身の町田氏はテレビが家電の花形商品だった時代に、シャープが自社製ブラウン管を持っていなかった悔しさをバネに、「2005年までに国内のカラーテレビをブラウン管から液晶に置き換える」と宣言。液晶テレビの開発を担ったのが片山氏だった。「液晶テレビ宣言」は当初、夢物語だとして社内の大半は否定的だった。ところが、町田氏の戦略は的中した。2000年、テレビCMに女優の吉永小百合を起用した液晶テレビ「アクオス」が人気を博し、瞬く間に国内首位を奪取した。ブラウン管テレビから液晶テレビへの置き換えは目標の05年より早く実現した。かつて「関西の三流メーカー」といわれていたシャープはソニー、パナソニックとともに“テレビ御三家”と並び称されるまでになった。

 液晶テレビの大成功で、町田氏は積極的に設備投資を行った。その象徴が、04年1月に稼動した亀山第一工場(三重県亀山市)であり、同工場で製造されるいわゆる「亀山ブランド」の製品は、日本のモノづくりの象徴とされた。

 07年に社長に就任した片山氏は、町田氏の液晶拡大路線を踏襲した。09年10月、世界最大の液晶パネル工場である堺工場(大阪府堺市)で液晶パネルの生産を開始。関連会社を含めた総投資額は約1兆円に上った。11年秋以降、堺工場は5割の低稼働率が続き、シャープの経営の命取りとなった。