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あの超優良企業の恥部 大躍進の原動力・画期的商品を開発した社員を放逐

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『中村修二の反乱』(畠山けんじ/角川書店)
 社長交代で和解はあるのだろうか――。

 発光ダイオード(LED)製造の日亜化学工業(徳島県阿南市、非上場)は3月下旬に開催した株主総会で、小川裕義氏が社長に就任した。社長だった小川英治氏は代表権を持つ会長に就いた。裕義氏は英治氏の長男。社長交代は26年ぶりのことだ。これまで通り英治氏は最高経営責任者(CEO)、裕義氏が最高執行責任者(COO)を務める。

 今回の社長交代で、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二・米カリフォルニア大学サンタバーバラ校教授との和解がなされるかが注目されている。中村氏と英治氏の確執は有名だ。

 中村氏が昨年11月、文化勲章受章に伴い開いた記者会見で、日亜化学に関係改善を呼びかけた。これに対して同社は会社名で、「(中村氏が)歴代社長や会社への感謝を公の場で述べておられ、それで十分」とした上で、中村氏が望んだ英治氏との面会については「貴重な時間を弊社への挨拶などに費やすことなく、(ノーベル物理学賞)受賞・(文化勲章)受章に恥じないよう研究に打ち込まれることをお祈りする」と門前払いした。

泥沼の裁判


 中村氏は創業者の故・小川信雄氏に見いだされ、青色LEDの開発に取り組む。だが、信雄氏が不治の病に倒れ、娘婿の英治氏が2代目社長に就任し、事態は一変。英治氏は製品化の見込みがないと判断し、青色LED開発の中止命令を出した。しかし中村氏は命令を無視して開発。日亜化学は1993年11月、20世紀中は困難といわれていた青色LEDの製品化に成功した。この時、中村氏が手にした会社からの報奨金は、わずか2万円だった。

 その後、青色LEDの特許などをめぐり、中村氏と日亜化学は激しく争った。1審の東京地裁は、日亜化学に対し発明の対価として200億円を中村氏に支払うよう命じた。2審の東京高裁は和解を勧告。そして05年1月、日亜化学が8億4000万円を中村氏に支払うことで和解した。裁判を通して、中村氏と英治氏は憎悪むき出しの争いを繰り広げたため、英治氏の社長退任を受け、日亜化学と中村氏の和解があるのではないかとの期待が高まっているのだ。

株式上場への期待


 裕義氏は、東京大学経済学部卒業後に三菱電機を経て、93年に日亜化学に入社。中村氏が発明した青色LEDの製品化に成功した年だ。12年に副社長へ就任し、今回父親の後を継いで3代目の社長に就いた。

 社長交代を受け、両者の和解以外で注目を集めているのが、日亜化学の株式上場である。