1月27日付日本経済新聞記事で、『トヨタ・スズキ提携交渉』と特報された。「インドなど新興国での小型車の開拓を共同で進める」という内容だ。両社は日経の報道を否定したが、これはあくまで建て前にすぎない。トヨタ自動車社内では「2015年春頃に、スズキの鈴木修会長から打診があった」と信じられている。総合企画部が策定した戦略マップに「スズキとの提携」が重要な検討テーマとして載っているとの情報もある。
1月29日には、トヨタが子会社のダイハツ工業を株式交換によって8月1日付で完全子会社にすると発表した。ダイハツ株1株に対してトヨタ株0.26株を割り当てる。
トヨタはダイハツの発行済みの株式数の51.32%を保有する筆頭株主だ。ダイハツを完全子会社(100%子会社)にするため、トヨタが持つ金庫株を割り当てる。ダイハツの時価総額から見て買収には3000億円程度の資金が必要になる。
トヨタはスズキとの提携交渉入りが報じられる一方で、ダイハツを完全子会社にする。トヨタは世界販売台数4年連続首位だが、16年はタイなど一部の新興国での販売低迷により15年並みを見込んでいる。
小型車を手掛けるダイハツを取り込み、新興国市場の攻略に不可欠な低コストの小型車の生産を強化する。インドで圧倒的なシェアを握るスズキ(同国子会社:マルチ・スズキ)との協業でインドでのシェアの拡大を目指す。
長年、軽自動車の販売競争で抜きつ抜かれつの攻防を繰り広げてきたスズキとダイハツが同じトヨタグループになるということなのか。スズキはなぜ、トヨタの軍門に下ろうとしているのか。
VWから買い戻したスズキ株の割当先
スズキの最大の経営課題は独自動車大手、フォルクスワーゲン(VW)との資本・業務提携の行方だった。
スズキは08年、米ゼネラルモーターズ(GM)と約30年に及ぶ提携を解消し、翌年にVWと資本提携した。VWはスズキに19.9%を出資する筆頭株主となり、スズキはVWに1.5%出資した。スズキはVWから環境技術などを供与してもらい、VWはトヨタやGMに対抗する日独連合を築く狙いがあった。
だが、所詮は同床異夢。VWはスズキを子会社とみなし支配力を強めようとした。これにスズキが反発し、11年11月に国際仲裁裁判所へ仲裁を申し入れた。
そして15年8月29日、裁判所がVWに対してスズキ株を売却するよう命じ、延々と争われてきた裁判は、ようやく決着をみた。VWとの紛争に実質勝利したスズキは同年9月17日、VWが保有していたスズキ株19.9%を4602億円で買い戻した。このほか、スズキの技術関連の契約違反に関しては、金額を公表していないが16年3月末までに和解金をVWに支払うことで決着した。スズキがVWと提携していた時期にフィアット(現欧米フィアット・クライスラー・オートモービルズ)からディーゼルエンジンを調達したことに関して、国際仲裁裁判所は一定の契約違反を認めていた。
一方、スズキは15年9月25日、保有していたVW株1.5%をすべて売却。367億円の特別益を計上。ここに資本・業務提携を完全に解消した。
次の課題は買い戻した自社株を割り当てる新しいパートナー探しである。
フィアット・クライスラー・オートモービルズが秋波を送ってきたが、VWで懲りたスズキは気心の知れない相手と組む気はないようだ。08年に資本提携を解消したGMとの復縁説も出た。GMとは喧嘩別れしたわけではなく、GMが倒産したことによる提携解消だったため、復活したGMならば再提携もあるとの見方も当然といえる。だが、鈴木会長は「再婚することはない」と、これを否定した。そこへ、トヨタが新しいパートナーとして浮上してきたわけだ。
スズキはインドで4割強のシェア
トヨタにとってインド市場は魅力だ。そのインド市場でスズキは4割強のシェアを持っている。スズキのインド進出における最高殊勲選手は鈴木氏である。1978年に4代目社長に就任した鈴木氏は、「どんな小さな市場でもいいから1番になりたい」と切望した。そして社長就任の翌年に発売した「アルト」がインドを呼び寄せた。
アルトを東京モーターショーで見たインドのメーカーが、「インド政府の国民車構想にスズキのアルトが最適」と考え、その後インド政府の調査団が来日した。
調査団は他メーカーとも話し合いの場を持ったが、社長や会長が顔を見せるのは最初の10分だけで、具体的な商談になると「課長が話を承ります」と言って部屋を出て行く。
「われわれと直接向かい合って真剣に話を聞いてくれた社長は、ミスタースズキ(当時社長)だけだった」(『俺は、中小企業のおやじ』<鈴木修/日本経済新聞出版社>)
これがインド進出の決め手となり、スズキは83年からインドで現地生産を始めた。初年度の生産台数は800台そこそこで、大手各社は「インド進出は勇み足」と冷笑した。ところがスズキはインドで大化けし、トップメーカーに躍り出た。
スズキの16年3月期の連結純利益は前期比24%増の1200億円となる見通し。従来予想を50億円下方修正した。VW株売却益367億円の計上が寄与したが、軽自動車と二輪車は苦戦しており、インド頼みの状況が続いている。
マルチ・スズキの15年4~12月期の四輪車の販売台数は前年同期比14%増の97万2000台で、通期でも10%増を狙う。マルチはインドの乗用車市場で4割強のシェアを握る。強固な販売基盤を生かしながら未開拓の農村への進出を急いでいる。
トヨタは97年にインドで生産子会社を設立したが、販売シェアは5%にとどまっている。そこで、マルチの現地販売網にスズキと共同開発した車を乗せて、インドでのシェア拡大につなげる青写真を描いているのだ。
15年4~12月期決算を発表したスズキ取締役の長尾正彦氏はトヨタとの提携交渉について、「(そうした)事実はございませんと言っている状況に変わりはありません」と述べた。「(スズキは)自分でどこまでできるか、足元固めに当分いそしみます」とした。
一方、トヨタによるダイハツ工業の完全子会社化については「大変なことになった。ますます、ふんどしを締めてかからないといけない」と危機感をあらわにした。長尾氏は決算発表という公式の席で「そうした事実はない」と言い切っているが、果たして本当なのだろうか。
肉親よりスズキを愛する
スズキでは15年6月30日、父から長男へと社長が交代した。鈴木氏の長男、鈴木俊宏氏が社長兼最高執行責任者(COO)に就き、鈴木氏自身は会長兼CEOとなった。株主総会からわずか4日後という異例の社長交代劇だったが、これはVWとの提携解消後を見据えたものといわれた。VWから買い戻した株を切り札として鈴木氏が提携交渉を仕切る。俊宏氏は経営の実務を遂行するという役割分担である。
しかし、俊宏氏の力不足がはっきりしてきた。軽自動車の「SD(スズキ・ダイハツ)戦争」では、トップの座を1年で明け渡してしまった。「集団指導体制」といえば聞こえはいいが、俊宏氏のガバナンスが見えてこない。
スズキはインドに救われている状況で、インド以外では販売台数を大幅に落とす懸念がつきまとう。インド以外でも成長を続けるには、トップを変えなければいけないかもしれない――。鈴木氏がこう考えたとしても不思議はない。
トヨタが20%の株式を握り筆頭株主になれば、トヨタから社長を招くこともあり得る。鈴木氏は人・モノ・カネをトヨタから調達する腹積もりだと見る向きも多い。
なぜこうした発想ができるのか。カリスマ経営者の鈴木氏は「肉親よりスズキ(会社)を愛している」からである。
(文=編集部)