最近、「日銀がマネタリーベース(現金+準備)を拡大すれば、民間銀行は貸出を増やすはずである」旨の主張がインターネット上で見られるが、超過準備が現在のような状況では、これは根拠なきデタラメで誤解である。以下、順番に説明しよう。
まず、現実の経済にはいくつもの異なる家計や企業、銀行等の金融機関が存在しているが、政府部門・日銀のほか、ひとつの民間銀行しか存在しないものとする。また当初、政府部門・日銀・民間銀行のバランスシートは以下の通りとする(注:簡略化のため、日銀が保有する国債以外の資産や自己資本ほか、民間銀行の自己資本などは無視する)。
上記の日銀バランスシートの負債側にある「現金」は市中に流通している日銀券残高を意味し、「準備」は中央銀行が民間銀行から預かっている預金(=日銀当座預金)を意味するが、民間銀行が貸出を増やしても、準備は基本的に変化しない。
この理由は2つあり、ひとつは現在の超過準備が異常な規模に達しているためである。また、もうひとつは、現代の金融システムで資金決済の中核を担うのは「現金」でなく、「預金」であるためである。この事実を理解するため、たとえば、家計AがB社の不動産を購入する際、図表1で、民間銀行が家計Aに50の貸出を行う場合を考えてみよう。
この場合、貸し手である民間銀行は、借り手である家計Aに対する貸出50の実行に合わせて、家計Aの預金口座を開設し、そこに預金50をチャージするのが一般的である。このとき、民間銀行は、図表1の自らのバランスシートの資産側に貸出50、負債側に預金50を追加する帳簿上の操作を行うだけである。これは「信用創造」の基本的な機能であり、民間銀行のバランスシートは、以下の図表2のようになる。
その際、借り手である家計Aが、B社との不動産売買の資金決済のため、預金50を現金として引き出す可能性も完全には否定できないが、通常、大量の現金を資金決済のために持ち運ぶのは防犯上のリスクが極めて高い。このため、不動産の買い手である家計Aは預金50を現金として引き出すことはせず、家計Aが振込手続を行い、B社の口座に預金50を振り込むのが一般的で、資金決済で民間銀行の準備や預金の総額は何も変わらない。
図表1では民間銀行はひとつしか存在しないが、民間銀行が複数存在する場合でも、民間銀行全体で見れば、上記の議論は本質的に変わらない。
たとえば、不動産売買の資金決済で民間銀行Cから民間銀行Dに預金50が移動する場合、民間銀行Cの準備(日銀当座預金)が50減少し、民間銀行Dの準備(日銀当座預金)が50増加する。その結果、上記の資金決済で民間銀行全体の準備総額や預金総額は何も変わらない。変わるのは、貸出が50増加するとき、民間銀行全体の預金総額が50増加するということだけである。
なお厳密には、既述の通り、「準備預金制度に関する法律」に基づき、民間銀行は家計や企業から預かった預金の一定割合(=準備率)を日銀当座預金に積み立てる義務を課されている。これを「法定準備」というが、現在の「準備率」は最大でも1.3%に過ぎない。また、現時点(2016年1月末)の約260兆円の準備(日銀当座預金)のうち法定準備は約10兆円、超過準備は約250兆円であるから、貸出増による預金増で法定準備が少々増加しても、それは超過準備の減少で吸収でき、準備の総額は基本的に変わらない。
民間銀行は日銀の支援を受けずとも貸出増は可
すなわち、「日銀がマネタリーベース(現金+準備)を拡大すれば、民間銀行は貸出を増やすはずである」旨の主張は、超過準備が現在のような状況では、誤解である。一定程度の超過準備があるとき、現代の金融システムにおける資金決済の中核は「現金」でなく「預金」であるから、民間銀行は貸出需要があれば、「信用創造」機能により、基本的に日銀の支援を受けずとも、貸出を増やすことができる。
以上が理解できれば、「マネタリーベース(現金+準備)は民間銀行が貸出を増やすか否かとは基本的に無関係」で、「民間銀行が超過準備を日銀当座預金に無駄に滞留させているから、貸出を増やさないのではない」という事実も正しく理解できよう。貸出が増えないのは、人口減少や少子高齢化で本当に貸出需要が極めて少ないのか、銀行の融資部門の審査能力や目利きが低下しているからであろう。また、「超過準備の付利があるから、貸出を増やさない」旨の指摘や、「超過準備の一部にマイナス金利を適用すれば、貸出を増やすはず」旨の指摘も誤解であることも理解できよう。
なお、日銀に口座をもつのは、準備(日銀当座預金)をもつ民間銀行等の金融機関や、政府預金をもつ政府部門しかない。このため、マクロの準備が減少する場合は、次の3つしかない。
(1)国債の売りオペレーションで日銀が保有国債を売却する場合
(2)民間銀行から政府部門に支払いを行う場合
(3)民間銀行が準備の一部を現金として引き出す場合
財政が厳しい現実に直面するリスク
ところで、マイナス金利政策の下では、日銀バランスシートの負債側にある「準備」の規模を長期的に維持することは難しい可能性があるという視点も重要である。この意味についても、少し説明しよう。
まず、すでに説明したように、民間銀行が貸出を増やすか否かにかかわらず、日銀がマネタリーベース目標を維持する限り、マクロの「準備」は減らない。これは、日銀当座預金を持つ民間銀行などの金融機関のいずれかが、必ずマイナス金利という「ペナルティー」を受けることを意味する。
ただ、民間銀行などの金融機関がマイナス金利の負担を日銀に押し付ける方法もある。それは、マネタリーベースをさらに拡大すべく、日銀が「国債の買いオペレーション」を実施するときに、保有する国債をより高い価格で日銀に売却することである。マイナス金利に伴う負担を日銀に転嫁するのである。
たとえば、マイナス金利で合計5億円の損失が予測される場合、これまで100億円で日銀に売却していた国債を105億円で売却する。このように負担を転嫁することができれば、銀行などはマイナス金利の負担を免れることができる可能性がある。
2月16日にスタートしたマイナス金利政策(NIRP)では、日銀当座預金を「基礎残高」「マクロ加算残高(法定準備を含む)」「政策金利残高」の3層構造に分割し、付利を各層に応じて、「プラス金利(0.1%)」「ゼロ金利」「マイナス金利(▲0.1%)」で適用する方式に改められたが、マイナス金利の幅や適用範囲を含め、今回のマイナス金利政策は日銀の裁量に負う部分が多く、不確実性が消えることはない。
すなわち、これは一種の「ババ引きゲーム」で、明らかに「不安定な均衡」である。現状では、超過準備のうちマイナス金利が適用となる範囲(政策金利残高)は約10-30兆円にすぎず、マイナス金利も▲0.1%という微小な幅であるため、超過準備を取り崩して現金として引き出す民間銀行の誘因は小さいが、マイナス金利の適用範囲やマイナス金利幅を大きく変更すれば、現金として引き出す誘因は大きくなり、日銀が超過準備の規模を長期的に維持することが難しくなる。
このため、日銀は、マイナス金利政策かマネタリーベース目標のどちらかを取りやめる必要性に迫られる可能性がある。もし日銀がマネタリーベース目標を取りやめる場合、日銀バランスシートの規模が縮小するので、日銀が保有する国債も減少する。その結果、政府部門バランスシートの負債である国債の一部と、日銀バランスシートの資産である国債が、統合政府バランスシートで相殺できたものが減少するため、民間銀行が保有する国債が増加する。
つまり、国債市場の需給関係が供給増に変化し、国債の価格が下落(=長期金利が上昇)する。このような状況で、政治が財政再建や社会保障改革をしっかり進め、市場の信認を得ることができなければ、財政は厳しい現実に直面するはずである。
(文=小黒一正/法政大学経済学部教授)