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「ココロに効く(かもしれない)本読みガイド」山本一郎・中川淳一郎・漆原直行

あの人気司会者、いかに30歳コンビニバイトから上り詰めた?10年後に花開くために

文=漆原直行/編集者・記者
あの人気司会者、いかに30歳コンビニバイトから上り詰めた?10年後に花開くためにの画像1『成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも』(鷲崎健/KADOKAWA)

【今回取り上げる書籍】

『成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも』(鷲崎健/KADOKAWA)

 最初は、単純に一ファンとして手にした本でした。

 今回紹介する『成すも成さぬもないのだが これまでもこれからも』は、ラジオパーソナリティ、司会者として活躍する鷲崎健さんの初の単行本となるエッセイ集です。正直、書評で取り上げたりするつもりもなく、ただの道楽読書として、椅子にだらしなく腰掛けて駄菓子をドクペで流し込みながら読み始めたのですが、おやおやこれが想像以上の良書じゃないですか。居ずまいを正しつつ、付箋を貼りまくっているうちに気がつけば読了してしまった次第。

 本書の冒頭、鷲崎さんはこのように綴ります。

<「声優やアニメクリエイター、アニソンアーティストなどの方々をお呼びしてお話を伺ったりするラジオ、通称アニラジと呼ばれる業界で日々喋ったり笑ったりする仕事をしております」

 と、こう自己紹介してなるほどとすんなり頷かれることはまず無い。たいていの場合、じゃあアナウンサーさんなんですか? アニメ関連のライターさんなんですか? と聞かれいやいやともう一度同じ説明をするはめになる。すると怪訝そうな顔でなるほど仕事の内容はわかった。で、お前の職業はなんなのだと問われてしまう。

 だから!

 ラジオで喋るのが仕事なんだよ! と語気荒くなりそうになる所をぐっとこらえる>

 一般的に、ラジオパーソナリティという肩書きを持っている人は、他に本業たる別の肩書きを持っているもの、と語る鷲崎さん。言われてみればたしかに、アナウンサー、俳優、お笑い芸人、歌手、評論家といった肩書きを持つ人が実績を積み重ね、一定の知名度や評価を獲得した後、ようやくラジオ番組なりを任されて、ラジオパーソナリティというタグが後から付け加えられるというのが、よくあるパターンなのかもしれません。鷲崎さんは「ラジオパーソナリティとは普通、本職にプラスされる『その他』の部分なのだ。職業『その他』の人間です、と言われたらそりゃ面食らいますわね」と書中で語ります。

 この“職業・その他”である鷲崎さん。アニメ系のラジオ番組のパーソナリティや、イベント司会などで引っ張りだこの存在。お時間があれば、ためしにウィキペディアをチェックしてみてください。これまで携わってきた、また現在携わっている番組やイベントが膨大に列記されています。アニメ業界周辺では、確たる存在感を放っている敏腕MCなのです。

 鷲崎さんの魅力は、軽妙なトークの運びと、独特な言語センスや豊富な雑学知識に基づいた、合いの手の妙にあります。とにかく、場の空気をドライブさせるのが抜群に上手い。ゲストの話した事柄を絶妙なたとえで言い換え、より面白い方向へと脹らませていく“たとえ芸”など、鷲崎さんの巧みな話術によって、相手である話者の魅力は乗数的に引き出されていきます。そうして醸成されていくのが、トークが“うねる”ような空気感。それがなんとも心地よく、ときにはスリリングだったりして、グイグイと引き寄せられてしまうのです。

 その話術は、自分が人前で喋ったり、司会進行役といった座を回すミッションを任されたりしてみると、どれだけ冴え渡っているか痛感させられます。

 ここで自分の話を持ち出すなんておこがましいのですが、僕も不惑を迎えるころになってから、お仕事上のよいご縁や好機に恵まれて、トークイベントやちょっとした講演会など人前で喋る機会をいただくことが増えてまいりました。また、ネット番組やラジオ番組に呼んでいただいたりする機会も、チラホラと頂戴するようになりました。本当にありがたいことです。身に余ります。せっかくのお声かけですから、誠心誠意、務めさせていただきます。

 ……とおのれの所信表明はともかく、そうした場を経験すればするほど、鷲崎さんのトーク巧者っぷり、座回し無双っぷりを改めて思い知るわけです。いや、同じ土俵に立とうとするどころか、片足の親指の先を土俵に1ミリくらい乗せること自体、甚だ僭越ではございますが、彼我の圧倒的な格差に若干呆然となってしまいます。

夢無し人である自分を少なからず肯定的に捉える

 本書の中には、そんな鷲崎さんの語り部としての輝きが、そこかしに散りばめられています。シンガーソングライターとしての顔も持ち、ブルースをこよなく愛する彼の音楽観であったり、鮫好きを公言しながらもこれまであまり語られてこなかった鷲崎流・鮫の愛好道であったり、影響を受けた文芸作品の話題だったりなど、有り体に言うところの“文系男子的趣味論/こだわり論”的な言説は、かなり興味深いものでした。

 ただ、個人的にいちばん刺さったのは、30歳でラジオの世界に入ってから現在までの歩みを振り返りつつ、四十路を迎えた現在の自分をどう捉えているかについて語った最終章「これまでもこれからも」です。

 その中の「子どものころになりたかったもの」という一節に、次のようなくだりがあります。

<では、どういう人になりたかったのか。幼少の頃の記憶を紐解いてみることにしよう。と思ったが記憶の紐は絡まるほど複雑ではなかった。小さい頃からずっと「別になんにもなりたくなかった」からである。そもそも未来とか将来とかを想像することがあまりない少年時代だった。ないまま青年期を迎え、三十代を終えて現在に至る。
(中略)
 絶対夢を持たなければいけない、という大人からの同調圧力みたいなものに恐怖があったのは確かだ。クラスで絶対好きな人がいなきゃいけないっていう風潮あったでしょう。あれもなんか苦手だった。「いない」というと嘘つき呼ばわりされてしまう。その延長線上にどうも夢のくだりがある気がしていた。(中略)なんだか給食を食べ終わっていない子を見るような視線で、もたもたするな、といつも叱られているような気がしていた>

 そんな葛藤を抱えていた鷲崎少年は、ある日、かのタモリ氏がテレビで語った「みんなが夢を持たなきゃいけないってのは、戦後民主主義教育の一番の間違いなんだよ」「夢がないと幸せになれない、みたいなナヨナヨしたこと言ってるからダメなんだよ」「無駄な荷物は持たないに越したことないね」などの発言を耳にして衝撃を受け、「夢無し人である自分を少なからず肯定的に捉える」ようになるのです。

 そして少年は、極めておぼろげな、しかし個性的で小憎らしい将来像を描き始めます。

<中学生になった頃、将来について話す度に「自分はガウォークみたいになりたい」と答えていた。
 ご存じでしょうかガウォーク。アニメ「マクロス」シリーズを代表する変形ロボ「バルキリー」の変型形態の名前である。戦闘機から人型ロボットに変型する途中の、乱暴に言えば戦闘飛行機に手足の生えた状態なのだがこれが発表当時から大変好きであった。(中略)何かに変形する途中の段階なのにも関わらずその状態が魅力的である、というのが夢無し人にとって大いなる希望になったのだろう。常に何かの途中でいたい、だってなっちゃったらオシマイじゃん、というのが中学生当時の精一杯の主張であった。
 (中略)
 一旦口にしたガウォーク宣言はその後心の大きな部分をずっと占領することになる。(中略)その時その時で面白そうなものに手を出しては飽きたらやめる、を繰り返しているうちに今の仕事に辿り着いた。
 曲がりなりにも人型に変形出来たと一応は考えても良いだろうか。長く使わなかった関節駆動部分をギクシャクさせながらも、背筋を伸ばしてもう十二年になる>

 鷲崎さんが、音楽活動などをしつつコンビニ店員としてバイト生活を送っていた30歳のとき、放送作家をしていた大学時代のサークル仲間に「番組内の企画でギターを弾いてくれ」と頼まれ、当初はオンエアでほとんど喋ることもないまま、即興でギターを弾いたりしていた……というのはファンによく知られている逸話です。そうして文化放送に出入りするようになり、(ご本人がラジオ番組で語っていたことによれば)「お、コイツそこそこ喋れるじゃん。制作費も少ないし、安いギャラで使えそうだから番組のアシスタントにでも使ってしまえ」と偉い人が思いついてしまったところから、現在のような地位を確立するまでにいたる、という塩梅。

 あるようでないようで、でもまあ、非常に珍しいケースにはかわりないでしょう。もしかしたら、夢見がちな文系男子のシンデレラストーリーみたいなものなのかもしれません。ここから敷衍して、話を一般化してしまうのは無理がある、というのもわかります。

誰だって、10年先のことなんてわからない

 しかしアングルを変えてみると、10年前に現在の自分の姿を想像できていた人なんて、果たしてどれだけいるのだろうか、実際はそんなにいないのではないか、とも思うのです。程度差はあるでしょうが、誰しも多かれ少なかれ「自分では思いもよらなかった展開が生じて、気がつけばいまの姿に至っていた」なんて感覚を持っているはず。つまりはそれくらい、未来なんて茫漠としていて、曖昧なものだったりするわけです。

 鷲崎さんは聡明な地頭をお持ちの方ですし、多彩な雑学知識を蓄えておられ、さらには天才的な言語感覚とそれを土台にした圧倒的な言葉選びの瞬発力を携えていらっしゃいますから、タダ者でないのは間違いありません。そもそも、確かなギターテクニックと、作詞・作曲の才能を持ったミュージシャン(ご本人は、この肩書きを自分から名乗ったことはないとおっしゃっているのですが……)としての一面もあります。だから先述した逸話にしても、才能はあるものの音楽だけでは食えなかった若いミュージシャンがバイトを糊口をしのいでいたところ、好機に恵まれて活躍の場を広げていっただけなのでは? なんてうがった見方もできなくはないでしょう。その意味では、然るべき人物が、然るべき場所で花開いたというだけの、極めて当たり前のハナシなのかもしれません。

 とはいうものの、そんな好機を逃すことなく確実に掴み、結果を出していくというのは、そう誰彼にでもできることではありません。流れに身を任せて飄々と、ガウォークのように生きてきていまの姿があるというのは、一方では、目の前に流れてきたり、置かれたりした機会から逃げることなく、誠実に対応して、評価を積み重ねていったからにほかなりません。結局、自分で活路を切り拓いていかないことには、何も変わらないのです。

 誰だって、10年先のことなんてわかならい。だからこそ、いま目の前にあるミッションに真摯に取り組み、一つひとつ結果を出していくしかない──そんな示唆を本書から感じとった次第。個人的には、同じアラフォーだからこそ、同じ時代を生きてきた同世代だからこそ味わえる「あ、その感じ、なんかわかる」「そういうこと、あったあった」なんて共感も手伝って、とてもよい読後感を覚えました。

 端無くも、同世代の人ががんばっている姿に触れて、「自分も、もうひとがんばりするか!」という気持ちに自然になってしまうような、ある種の清々しさに溢れた一冊。アラフォー世代だけでなく、人生に迷う若い人にとってはオヤジからのエールとして読み解けるだろう言説も数多いので、幅広い世代の人にオススメしたい良質のエッセイといえます。
(文=漆原直行/編集者・記者)

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