英語ができれば外資系企業で働くことができたり、外国と関わる仕事ができるようになる。
そのためには、英語が話せないといけないと思うもの。しかし、英語が流暢に話せることは重要ではあるものの、それは最重要ではない。英語は道具であって、その道具を使って目的を達成することが一番重要なことだからだ。
『君は英語でケンカができるか?』(平松庚三著、クロスメディア・パブリッシング刊)では、元ライブドア社長の平松庚三氏がビジネス体験から英語で何を考え、どう交渉してきたかを振り返り、ガッツとカタカナ英語の仕事術を紹介する。
■ソニー創業者・盛田昭夫の「英語を身につける術」
ライブドアの社長など、いくつかの企業の社長を歴任する以前、平松氏は13年間、ソニーに勤めた経験がある。そこで出会ったのが、「世界のソニー」を築き上げたソニー創業者の一人である盛田昭夫氏だ。平松氏が人生の師と仰ぐ人物だ。本書では盛田氏についても語っている。
盛田氏は、ソニーを世界に売り込むため、1963年に家族を引き連れニューヨークに移住する。最高級のアパートを借り、英語も喋れないのに夜な夜な、そこでパーティーを開き、生きた英語を身につけ、社交界で人脈を広げた。
ただし、自宅に招待されたのはセレブばかりではない。アパートの住人、子どもの友達の両親、ジャーナリストなどさまざまな人たちで、盛田氏は一切分け隔てなく積極的に話しかけていたそうだ。
■「真摯な姿勢」が心をつかむ
とはいえ、盛田氏はアメリカ移住後もしばらくは通訳もつけていた。しかし、ヨーロッパを周っているときに、アメリカ人もヨーロッパでは言葉に苦労していることに気づく。お互い様だと思ったら、英語で話す勇気が出てきて、突如として喋れるようになった。
この「相身互い」という気持ちがコミュニケーションでは大事なこと。盛田氏の英語は決して流暢ではないが、気持ちがこもっていて、人柄が素直に表れていた。そうした姿勢を欧米人は好むので、盛田氏はたくさんのスピーチの機会を持つことになる。
また、盛田氏のスピーチには表に出さない努力もあった。
平松氏は米ソニーの広報部勤務が長かったため、盛田氏が訪米する際は必ず近くにいたが、盛田氏が借りていたアパートに行くと、英語のスピーチ原稿に手を入れながら、口を動かして練習している姿によく遭遇したという。
平松氏は、盛田氏がおそらく日本の経営者で英語のスピーチを最もたくさんこなしたのが盛田氏ではないか。そして、どんな場でも聴衆の心を立ちどころにつかんだ、と述べる。こういったスピーチは、盛田氏の人と接するときの姿勢や影の努力の積み重ねで、海外での仕事の成果を上げていくことになったのだろう。
「英語ができること=グローバルビジネスパーソン」ではない。自分のビジネス領域でグローバルな視野を持ち、たとえカタコトでも英語という「ビジネスの道具」を使って仕事の成果を出せる人をグローバルビジネスパーソンというのだ。もちろん英語の勉強は必要だが、そればかりに気を取られていると、ビジネスの世界では本当の意味で通用しない。そうならないためにも、本書からカタカナ英語の仕事術を参考にしてみてはどうだろう。
(新刊JP編集部)
※本記事は、「新刊JP」より提供されたものです。