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東芝と日本郵政の巨額減損の「戦犯」、西室泰三の飽くなき権力欲

文=有森隆/ジャーナリスト
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東芝と日本郵政の巨額減損の「戦犯」、西室泰三の飽くなき権力欲の画像1西室泰三氏(ロイター/アフロ)

 東芝日本郵政における巨額減損損失の元凶といわれている西室泰三氏は、さびしい晩年を送っているという。

 2006年の東芝によるウエスチングハウス(WH)買収を陰で支えたのは、当時東芝の相談役で、“スーパートップ”と呼ばれていた西室氏だ。WHは7000億円の損失を出していたことが発覚、2017年に倒産した。その損失の影響により、東芝は実質上解体に追い込まれた。

 西室氏は13年に社長に就いた日本郵政でも、子会社の日本郵便によるトール・ホールディングス買収をひとりで決めたといわれている。その結果、日本郵政グループは17年3月期決算で、民営化して初めての赤字に転落した。

 年をとることは悪いことではない。初心に戻れるからだ。果たして、西室氏のサラリーマンとしての初心はなんだったのだろうか。

 安倍晋三首相にちぎれるほど尾っぽを振って近づいたが、日本郵政の社長を辞任してしまうと、当の安倍首相からも見捨てられた。こうなると、願うところは勲章をもらうことだが、東芝、日本郵政で大幅に業績を悪化させたため、勲章も1ランク下がるだろうといわれている。東京証券取引所の社長になった時から“勲章ハンター”ぶりを発揮していた西室氏にしてみれば、残念な気持ちだろう。

 筆者は、日刊ゲンダイに2015年11月3日から6回連載で『“妖怪”西室泰三の仮面を剥ぐ』とのテーマで記事を書いた。「時の人
の感があった西室氏を正面から批判した嚆矢(こうし)となった。

 連載直後から単行本化の話が舞い込んだが、西室氏が病に倒れ退任が決まるとともに、この話も立ち消えになった。「リタイアした人を書いても売れない」というのが編集者の見解だった。

日本郵政グループ3社同時上場の隠された狙い

 西室氏は、日本郵政グループ3社を同時に上場させるミッション(使命)を帯びて、持ち株会社の日本郵政の社長に就任したといっていい。

 外国の機関投資家はシビアで、日本郵政は成長性に乏しいとの厳しい評価が多かった。何より、持ち株会社の日本郵政と、その完全子会社の金融2社(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)を“親子上場”させることに断固反対していた。

 西室氏が3社同時上場を強行したのは、売却益を東日本大震災の復興財源に充当するという政府の意向を“忖度”したためだ。

 親会社(日本郵政)の上場だけでは、予定している復興財源を確保できないとみて、3社同時上場を進めた。政府主導の上場イベントに失敗は許されないため、万全を期した策をとったといえる。

 3社の同時上場に際して証券業界では、もうひとつの隠された狙いを指摘する声があった。それは、「外資にゆうちょ銀行とかんぽ生命の門戸を開く」というものだ。

 その証拠に西室氏は、かんぽ生命と米アメリカンファミリー生命保険(アフラック)との業務提携を推進した。日本郵政グループの元役員は、「米国は、儲からない郵便事業には、そもそも興味がなかった」と明かす。

 米国の大手生保は、いわば“狩猟民族”だ。一方、かんぽ生命は“農耕民族”。「このままいったら外資に食われてしまう」(同)と危惧する声も出ていた。

 西室氏は25歳の時に「余命5年」と宣告された。脊椎のまわりにキスト(嚢腫)が発生する奇病で、腰から足まで電気が走るような激痛が走り、足を引きずるようになった。31歳の時、米国で8時間に及ぶ手術で嚢腫を取り除いたが、下肢に不自由さが残った。

 西室氏は重電を担当したことがない。東芝では、重電部門が社長の登竜門とされている。1987年の東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)違反事件で、佐波正一会長と渡里杉一郎社長が同時に辞任した。渡里氏が1年余で社長を辞めていなければ西室氏が社長になる目はなかった。佐波氏と渡里氏の意思疎通がうまくいっていなかったことが、トップ2人の同時辞任につながったといわれている。

 その渡里氏は今年4月、92歳で没した。社長辞任後、経営に口を出すことは一切なかった。西室氏とはまったく別の道を生きた経営者だった。

東芝の悲劇を招いた西室氏

 東芝の悲劇は、一相談役にすぎない西室氏が“東芝の闇将軍”として君臨し、「西室町体制」と呼ばれる異常事態を招いたことだ。西室氏は子飼いの室町正志氏を会長に指名し、歴代3社長が引責辞任したため、室町氏が社長を兼務することになった時から暴走した。日本郵政グループの株式公開という、重大な経営課題を抱えていたにもかかわらず、「週3回は東芝に出社していた」(東芝幹部)という。

「肩書コレクター」とは、西室氏に付けられたアダ名だ。00年に東芝会長になった西室氏が密かに目指したのは“財界総理”、経団連会長の座だった。西室氏は、東芝から3人目となる経団連会長に就く野望を抱いた。西室氏は01年から経団連副会長を務めていたが、東芝の会長から相談役に退けば次期財界総理の可能性がなくなる。そのため会長の座に固執し続けた。東芝の社長は通常、4年で交代していたが、西室氏は岡村正氏に社長を5年継続させた。だが、それでも西室氏は経団連会長になれなかった。

 東京証券取引所の会長になれたのも、絶対本命だった野村ホールディングス会長の氏家純一氏が断ったためだ。2番手だった西室氏にお鉢が回ってきて、二つ返事で引き受け、半年後に社長を兼務した。東京証券取引所のトップに就けば、受け取れる勲章は勲一等が相場といわれている。

 西室氏が東証時代に挙げた成果として特筆されるのは、ライブドアを06年に東証マザーズ市場から追放したことだ。ライブドアの堀江貴文社長(当時)は、ニッポン放送・フジサンケイグループの乗っ取りを図ったため、東証マザーズから追放された。

 新興企業がエスタブリッシュメントに挑戦するとどうなるか――。いわばライブドアを見せしめにしたのだ。これでベンチャー企業の息の根が止められた。新興市場である東証マザーズには、毎年30~50社が上場していたが、西室氏が東証会長兼社長、持ち株会社東京証券取引所グループ会長を務めていた5年間に新規上場は、一転して減少した。

 東証マザーズの上場会社数(カッコ内は前年比増減数)は以下の通りだ。

2006年末  185(+35)
2007年末  195(+10)
2008年末  196(+1)
2009年末  183(-13)
2010年末  179(-4)
2011年末  176(-3)
(ライブドアの上場廃止は06年4月)

 東芝本社ビル38階の役員フロアには社長、会長の職務室に加え、相談役の個室もあった。西室氏は、東芝の中興の祖、土光敏夫が使っていた部屋に居座っていた。これが経営者としての西室氏の原風景である。
(文=有森隆/ジャーナリスト)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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