4月で在任8年となる伊藤忠商事の岡藤正広社長の去就は、総合商社首脳人事の最大の関心事だった。同社はCEO(最高経営責任者)の役職を新設し、岡藤氏は4月1日付で代表権を持つ会長兼CEOになる。事実上、“岡藤体制”の継続ではあるが、新しい社長兼COO(最高執行責任者)に、専務執行役員の鈴木善久氏が昇格する。社長は6歳若返る。
岡藤氏は2020年まで10年社長を継続するとの見方が浮上していたが、交代を決断した。
交代のネックになっていたのは、CITIC(中国中信集団)だ。伊藤忠は、タイの財閥チャロン・ポカパン(CP)グループと組んで、中国の国有コングロマリットのCITICの香港に上場している事業子会社、CITICリミテッドに1兆2000億円を折半投資している。だが、6000億円を投下しただけの果実を得ていない。CITICの事業に見通しが立つまでとなると、「20年まで社長を続けても時間切れとなる」(前出の若手幹部)可能性が高いが、岡藤氏の性格からして、中途半端に辞めることはできなかったということだ。
1月18日の新旧社長の記者会見でも岡藤氏は「新しい頭脳も必要だが、継続も重要だ。特に中国の人は肩書を非常に重視する」と語っている。CITICとの提携を進めるために、CEOという肩書が必要だったのだ。
事実、「岡藤さんが会長兼CEOになって、CITICとCPの専任担当になればいい」(元役員)との声も挙がっていた。20年まで岡藤氏が社長を継続した場合、次の社長候補に挙がっていた面々は、米倉英一専務執行役員を除いてすべて候補から消えるといわれるなど、今後の役員人事が大きく変わる可能性があり、その動向が注目されていた。そんななかで鈴木氏の社長就任が決まり、人事はすべてご破算となった。
焦点の米倉氏はどこへ行くのか。4月1日付の人事で、米倉氏が担当してきた金属カンパニープレジデントに、執行役員中南米総支配人兼伊藤忠ブラジル社長兼中南米コンプライアンス責任者の今井重利氏が就くことが決まっている。
3月31日付で退任する岡本均氏が“ポスト岡藤”の本命で、吉田朋史・専務執行役員伊藤忠インターナショナル社長兼CEOが対抗馬だったが、吉田氏は4月1日付で住生活カンパニープレジデントに戻り、6月に代表取締役になる。“稼ぎ頭”といわれてきた吉田氏は本社に戻り、古巣で辣腕を振るうことになる。これは朗報といえる。
注目の米国法人(伊藤忠インターナショナル)の社長兼CEOには、執行役員の茅野みつる(戸籍上は池みつる)氏が大抜擢された。中途入社した法務のスペシャリストで、岡藤社長がもっとも目を掛けている若手執行役員のひとりだ。伊藤忠インターナショナルEVP兼CAO兼伊藤忠カナダ社長になってから、わずか1年で社長への“登竜門”といわれる最重要ポストを掴んだことになる。中途入社で、しかも女性が伊藤忠米国会社の社長に就くのはもちろん初めて。三菱商事、三井物産、住友商事の上位総合商社でも例のない、異例中の異例人事といっていい。
岡藤会長兼CEOは最短2年、最長でも4年とみられている。鈴木新社長の任期も4年がひとつの節目になる。“ポスト鈴木”の本命に、茅野氏が急浮上してきたといっていいかもしれない。総合商社初の女性社長の誕生はあるのか。鈴木新社長もサプライズだが、茅野氏の処遇が今回の岡藤人事のハイライトか。
鈴木新社長誕生の裏側
岡本氏に替わってCIO(最高情報責任者)に就くのは、代表取締役専務執行役員役兼CAOの小林文彦氏だ。CSO(最高戦略責任者)兼CP・CITIC戦略室長には、執行役員・業務部長の野田俊介氏が就く。野田氏は常務執行役員に昇格するのではないかとみられている。
鈴木新社長は、伊藤忠の社長、会長を歴任し、名経営者とうたわれる丹羽宇一郎氏の“秘蔵っ子”である。丹羽氏が社長の時に秘書を務め、03年に当時、最年少(40代)で執行役員に就き、06年から5年間米国に勤務。伊藤忠インターナショナル社長を務めた。
岡藤体制になり11年、航空機の化粧室、厨房設備で世界最大手、伊藤忠関連会社のジャムコに副社長として出向。12年にジャムコの社長に就任した。そして15年、ジャムコを東証1部に上場させている。
ジャムコを再建し、高収益会社に変貌させ、株価をほぼ倍増させた手腕が評価され、16年に伊藤忠の専務執行役員(情報・金融カンパニープレジデント)に返り咲いた。関連会社に出て、そこで社長を務め、その後、本社に役員として戻り、社長の椅子を射止めたわけだ。こうした道を歩むのは、今回、経団連会長に就任する中西宏明・日立製作所会長によく似ている。
岡藤氏は「いろいろな経験が彼(鈴木新社長)の力になっている。野心はないが、全力で結果を出す」と評価したが、裏を返せば、岡藤氏の手駒のカードにエース(絶対的な切り札)がなかったということだ。
禅譲なら“ポスト岡藤”の最短距離とみられていた岡本氏は、3月31日で退任することが決まった。象徴的な人事である。
カンパニーのプレジデントだった吉田多孝常務執行役員(機械カンパニープレジデント)、原田恭行常務執行役員(住生活カンパニープレジデント)もお役御免である。機械カンパニーのプレジデントには、エネルギー・化学品カンパニープレジデントで専務執行役員の今井雅啓氏が横滑りする。エネルギー・化学品カンパニープレジデントには同カンパニーエグゼクティブバイスプレジデント兼化学品部門長だった常務執行役員の石井敬太氏が昇格する。
岡藤氏の長期政権のひずみ
17年11月中旬に、岡藤氏は1泊3日の強行軍で米ニューヨークに出張。社長候補の吉田朋史氏と“最終面接”をしたが、「岡藤さんが候補を絞り込んだ気配はない」(元役員)という情報が社内外に流れ、この段階で岡藤氏は続投の方向とみられていた。
しかし、岡藤氏は最後まで迷っていたのが実情との見方もある。「岡藤氏と同じ繊維から後継社長を出したい」との思いは、大阪の繊維部隊に強かったといわれている。とはいっても、手持ちカードにエースがなかった。「帯に短し襷に長し。いずれも“ミニ岡藤”」(岡藤体制に批判的な別の元役員)と辛辣な批判があるほどだ。
悩み抜いた末の決断だったのだろう。鈴木新社長は18日の交代会見で、「先週の金曜日(1月12日)に岡藤社長から社長就任について話があった。この体制(岡藤会長兼CEO)なら、社員や投資家の期待に応えられ、自分も自信を持ってやれると考えた」と語っている。
CITICとの提携は今年、難所にさしかかる。CITICの資源部門は赤字に転落する可能性が高まっている。出資先のファミリーマートも同様だ。ファミマは海外展開で転機を迎えている。一方、タイのチャロン・ポカパン(CP)も主力の生命保険業が苦戦していると伝わっている。
1月19日付日経産業新聞記事では「まさに神様、仏様、岡藤様だ。ずっと(社長を)続けてほしい」という社内の声を紹介しているが、市場関係者は「持ち上げすぎ」と冷ややかに見ている。
客観的に見て、最終利益で総合商社トップに初めて立った16年3月期決算が、“交代の花道”だったのかもしれない。丹羽宇一郎氏、小林栄三氏と過去2代の社長が、いずれも就任から丸6年で交代していた。慣例に従って16年春に社長から会長になっていれば、歪みが出ることもなかった。長期政権の歪みは、これから露呈するだろう。
“岡藤プレミアム”が剥げ落ちることを兜町では懸念している。1月18日の社長交代を受けて伊藤忠の株価は一時、2177円(31円安)と日経平均株価を上回る下落率となった。終値は2182.5円(25.5円安)。19日は反発したが、岡藤氏の経営手腕に投資家は絶大な信用を置いている。「誰が後を務めても、ペンペン草も生えない」(前出の元役員)とあきらめた言葉を投げる人もいる。
歴史に「もしも」はないが、16年春に岡藤氏が交代していれば、鈴木氏が新社長になることもなかっただろう。現在の伊藤忠はどんな姿になっていたのだろうか。
(文=編集部)