山口達也さん、アルコール依存症との認識ない可能性…ジャニーズの尻拭い、問題行動を助長か
女子高生への強制わいせつ容疑で警視庁に書類送検された「TOKIO」の山口達也さんの謝罪会見を見て、精神科医としての長年の臨床経験から「典型的なアルコール依存症」という印象を抱かずにはいられなかった。
まず、お酒の関係で体を壊し、1カ月間入院していたにもかかわらず、退院したその日に飲酒して事件を起こしている。これは、飲酒への渇望が激しく、「飲みたい」という衝動を抑えられないからだろう。また、焼酎の瓶を1本空けるまで飲むのをやめられなかったのは、いったん飲み始めるとコントロールがきかなくなるためと考えられる。もしかしたら、アルコールが切れると、手指振戦(手や指のふるえ)、発汗、不安などの離脱症状が出現するのかもしれない。
何よりも私が危惧するのは、「依存といったものはないと自分では思っています」と山口さん本人が否定していることだ。事件を起こす直前の入院についても「肝臓を休ませるための入院」と説明しており、自分がアルコール関連の問題を抱えているという認識が薄いように見受けられる。
このように、自分自身のアルコールをめぐる問題を過小評価し、あたかも問題など存在しないかのように振る舞うことを精神医学では「否認」と呼ぶ。この「否認」は、アルコール依存症患者にしばしば認められる。
たとえば、飲酒による失敗や問題行動を幾度も繰り返しているのに、
「酒なんて、いつでもやめられる」
「自分は、ちょっと酒好きなだけ」
などと思い込んで、現実から目を背けようとする。
こうした現実否認の傾向が、アルコール依存症患者の場合は人一倍強い。アルコールに頼ること自体、現実逃避の一手段ともいえるので、当然なのかもしれないが、この否認が治療の妨げになりやすい。たとえ治療を受けることに同意しても、体がしんどいとか、肝臓の数値が悪いという内科的な問題のせいにして、精神科治療を拒否するからだ。
もちろん、誰だって自分がアルコール依存症であることを認めたくない。だが、それを認めてはじめて治療を開始できるわけで、本人の否認が続く限り、依存の問題を解決するのは至難の業である。
「イネイブラー」の存在
もう1つ深刻だと思うのは、2月12日に事件を起こしてから3月末に警察のほうから連絡がくるまで山口さんが普通に仕事をしていたことだ。つまり、それまでは「事件性があることだとは思っていなかった」わけで、自分自身の振る舞いが被害者をどれだけ傷つけたのか想像さえしていなかった。もちろん、罪悪感も覚えなかっただろう。
こうした認識の甘さを見ると、これまでも似たようなことを繰り返していたが、とくに問題にならずにすんできたのではないかと疑いたくなる。山口さんの酒をめぐるトラブルは以前から芸能関係者の間でささやかれていたとも報じられており、さまざまな問題行動を引き起こしていた可能性が高い。
それでも表沙汰にならずにすんだのは、山口さんの所属先であるジャニーズ事務所が尻拭いをしてきたからではないか。人気グループのメンバーであるうえ、出演番組の視聴率も高いので、所属事務所がもみ消しや隠蔽に走っても不思議ではない。
ただ、このような尻拭いは、飲酒による失敗や問題行動をかえって助長させかねない。アルコール依存症患者の周囲には、しばしば飲酒による不始末の尻拭いをする人物が存在し、「イネイブラー(enabler)」と呼ばれる。「イネイブラー」とは、直訳すると「可能にする者」という意味で、「支え手」と訳されることが多い。
「イネイブラー」が依存の問題を解決する「支え手」になれば、治療にとってプラスだが、実態は真逆である。どうせ「イネイブラー」が何とかしてくれるという甘い認識が芽生えるのか、問題行動に歯止めがかかるどころか、むしろ拍車がかかる。
山口さんの場合も、ジャニーズ事務所が「イネイブラー」だったからこそ、これまで表沙汰にならずにすんだのだろうが、それがかえって問題を深刻化させたことは否定しがたい。
謝罪会見後に山口さんが再入院したことをジャニーズ事務所は明らかにし、その理由について「根本的解決のため」と説明した。じつに賢明な判断だと思う。これを機会に、「自分はアルコール依存症だ」という自覚、つまり「病識」を持って、じっくり治療に取り組んでいただきたい。
ただ、それだけでは十分ではない。「根本的解決のため」には、ジャニーズ事務所が「イネイブラー」の役割を果たすことをやめるべきである。
(文=片田珠美/精神科医)