日本取引所グループがまとめた「2005年以降商号変更会社一覧」によると、2005年から18年4月1日現在までに上場企業641社が社名変更した。
旭硝子は18年7月1日から社名を「AGC」に変更する。世界的に認知されている企業ブランドと社名を統一する。1907年の創立以来、社名から初めて「硝子」が外れる。島村琢哉社長は社名変更の理由をこう語っている。
「旭硝子は慣れ親しんだ名前だが、いろいろなことをやっている会社として理解してもらうほうが、会社の将来のためによいのではないか」
旭硝子は化学品や電子部材、セラミックなど、ガラス以外に幅広く事業を展開している。そこで、グローバル展開にはAGCのほうが効率的と考えたわけだ。
北越紀州製紙は18年7月1日に社名を「北越コーポレーション」に変更する。大手製紙会社で、社名から「製紙」を外すのは王子ホールディングスに続いて2社目。
北越紀州製紙は2009年、新潟県が発祥の北越製紙が三重県で創業した紀州製紙を買収して誕生した。社名を変更するのは9年ぶり。
電子化が進み、印刷・新聞用紙の需要が減るなど、製紙業界は苦境に立たされている。北越紀州製紙は紙の原料となるパルプの生産や紙の加工事業も手掛ける。社名変更で、製紙への依存からの脱却を目指すイメージを打ち出す。
19年1月1日には、東洋ゴム工業が「TOYO TIRE(トーヨータイヤ)」に社名を変更する。15年に発覚した免震ゴムの耐震偽装問題を受け経営体制を一新。社名を変更して心機一転を図る。
18年4月1日付で、パナホームがパナソニック ホームズに社名変更した。17年10月、TOB(株式公開買い付け)と株式併合によってパナソニックの完全子会社になった。社名変更は、統一性を重視するパナソニックのブランド戦略に基づく。
MUFGは行名変更をめぐり対立
メガバンク最大手の三菱東京UFJ銀行(BTMU)は18年4月1日、行名を「三菱UFJ銀行」に変更した。親会社の三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)は「持ち株会社と商号を統一し、グループ各社が一体となって構造改革を加速する」とコメントした。
東京銀行は1880年設立の横浜正金銀行を前身に持つ日本唯一の外国為替専門の名門だった。1996年に旧三菱銀行と旧東京銀行が経営統合した後も、行名に「東京」が残っていたが、それが消えた。
行名の変更に伴う作業は、振込依頼書やホームページの文書、現金自動預払機(ATM)の画面など数万件に上る。国内516支店の看板を変更しなければならない。「東京」の二文字を消すだけで莫大なコストがかかるわけだ。そんな巨費を投じても行名を変更する理由は何か。
「週刊ダイヤモンド」(ダイヤモンド社/2017年7月29日号)は『頭取を辞任に追い詰めた!?三菱UFJを牛耳る「影の権力者」の正体』という記事で、行名変更の舞台裏をすっぱ抜いた。
17年5月24日、BTMUの小山田隆頭取の退任が発表された。16年4月に頭取に就任したばかりで、1年での退任は極めて異例。「体調不良」という退任理由を額面通り受け取る向きは少なかった。退任をめぐって、さまざまな情報が飛び交った。平野信行会長と永易克典相談役の対立に小山田頭取が板挟みになり、苦労していたと噂された。
「BTMU本店9階には応接室や会議室、役員食堂の他に、歴代頭取経験者の個室がある。(中略)小山田前頭取の2代前の頭取である永易克典相談役、3代前の畔柳信雄特別顧問、4代前の三木繁光特別顧問(東京三菱銀行)、5代前の岸暁特別顧問(東京三菱銀行)、7代前の若井恒雄特別顧問(三菱銀行)の5人だ。6代前の頭取は既に鬼籍に入っている。この9階メンバーを中心に構成されるOB会は、銀行経営に影響力を持つとされる」(「週刊ダイヤモンド」記事より)
同誌によると、BTMUが誕生して以来、頭取は三菱銀行出身者が独占。9階に個室を持つ特別顧問も全員が三菱銀行出身。三和銀行出身など外様の特別顧問は、旧東京銀行本店のあった日本橋別館に追いやられている。9階の権力者と、平野会長が行名変更で対立したのだ。
「5月に発表されたBTMUの行名変更をめぐっては、平野会長は『MUFG銀行』にする方針だったが、『三菱』の名前を外すことにOB会が大反発。結局、『東京』を外して『三菱UFJ銀行』に変更することで落ち着いた」(同)
三菱ファーストのOBたちは「三菱」の冠に固執したが、それは将来、UFJも消して「三菱銀行」に戻すのが真の狙いとの見方もある。
親会社のMUFGと名称を一致させることが、三菱UFJ銀行(英語表記MUFG Bank)に行名変更した理由というのが公式発表だが、この説明は説得力を欠く。
行名変更の舞台裏は、怨念がぶつかり合うドロドロしたものだった。
(文=編集部)