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高橋篤史「経済禁忌録」

不動産業界を席巻した旧ダヴィンチ・金子元社長が復活→直後に裁判で想定外の敗訴

文=高橋篤史/ジャーナリスト
不動産業界を席巻した旧ダヴィンチ・金子元社長が復活→直後に裁判で想定外の敗訴の画像1「Gettyimages」より

 かつて不動産業界を席巻したダヴィンチ・ホールディングス(現DAホールディングス)を率いた金子修氏が帰ってくる。リーマンショック後、表舞台から姿を消していたが、6月末にジャスダック上場の不動産会社、LCホールディングス(旧ロジコム)の代表取締役に就任するのだ。そんな矢先、金子氏はある民事裁判で逆転敗訴判決を受けた。厚生年金基金に巨額の損失を負わせた利益相反行為があったとされたのである。

 1947年生まれの金子氏は長谷工コーポレーションの米国現地法人の社員を経て独立、80年代に米国でホテル開発会社を興した。その会社が立ち行かなくなると、98年に日本でダヴィンチ・ホールディングスの前身を設立。同社は高レバレッジの私募ファンドを駆使した米国流の手法を持ち込み、2001年にはナスダック・ジャパン(のちの大証ヘラクレス市場)に上場を果たした。

 00年代半ばに都心で不動産ミニバブルが膨らむと、ダヴィンチの手法は当たった。有名なのは06年に組成した通称「1兆円ファンド」。東京駅前のパシフィックセンチュリープレイスや「軍艦ビル」とも呼ばれた芝パークビルなど、1000億円超の大型物件を次々と取得していった。

 金子氏の米国流は根回しが重視されてきた日本においては異端でもあった。テーオーシーのMBO(経営陣による自社買収)に横やりを入れて敵対的TOB(株式公開買い付け)を仕掛けたり、JR大崎駅前に広大な工場跡地を保有する明電舎の株主総会に乗り込んで再開発への参画を直談判したりした。保有不動産に目を付けて東映株の買い占めも行った。

 ダヴィンチは従業員の平均給与が高いことでも知られたが、そんな絶頂期はすぐに終わった。リーマンショックで不動産市場が瓦解すると、ダヴィンチ傘下のファンドは大きく毀損。同社は08年12月期に179億円の最終赤字に転落、翌期には赤字額が263億円に膨らみ、単体では債務超過に陥った。株価も低迷、ついには10年6月、上場廃止となる。その後、ダヴィンチは保有物件の処分を進めるだけの実質的な清算会社と化し、金子氏も表舞台から姿を消した。

満を持して復活

 それから約6年、金子氏がじわりと動きだしたのは16年のことだ。その年3月、金子氏は旧ロジコムの第三者割当増資7億円を引き受け、同社の第2位株主(保有割合約15%)に躍り出た。もっとも旧ロジコムは同時にダヴィンチ株を金子氏から7億円で買い取ったので、カネがぐるっとひと回りしたかたちだ。前の月、金子氏は旧ロジコムの子会社で人知れず特別顧問に就いていた。

 旧ロジコムは地方の物流施設や商業施設を主戦場とする不動産会社で、05年に大証ヘラクレス(現ジャスダック)に上場。実質オーナー格の本荘良一氏はかつて仕手銘柄で知られたヒューネット(現RISE)で代表取締役を務めたこともある。17年3月期の売上高は69億円で総資産は282億円。全盛期のダヴィンチに比べれば数十分の一の規模の会社だが、上場会社に変わりはない。

 そして今年6月末の株主総会を経て、金子氏はロジコム改めLCホールディングスの代表取締役に満を持して就任する。会社側のリリースによれば出口戦略の強化をその手腕に託すためという。

 LCホールディングスは昨年9月に病院不動産を組み込む新たな不動産ファンドを子会社を通じ組成、今年1月には静岡県沼津市の物件など病院不動産9物件などの売買契約をまとめた。会社側はファンドをJ‐REIT(上場不動産投資信託)市場に上場させると鼻息が荒かった。が、ローン調達がうまく行かず、3月末の運用開始予定を延期。そのあたりも金子氏の剛腕で打開したいものと見られる。

 代表取締役就任に先立って金子氏は4月3日付でLCホールディングスの顧問に就いた。が、その8日後、東京高裁で思わぬ逆転敗訴判決を食らうこととなる。裁判を起こしていたのは九州石油業厚生年金基金。不動産業界で暴れ回っていたダヴィンチにとって、大のお得意先ともいえる機関投資家だった。その裁判記録を紐解くと、当時のダヴィンチの手法が垣間見える。

杉山年金運用研究所

 九州石油業厚生年金基金は九州のガソリンスタンド企業が集まった厚生年金基金で、理事長の出光芳秀氏は出光興産創業家の縁戚関係にあたる。そんな基金がダヴィンチに集中投資を行い結果的に資産の半分近くを失ったのは、出光理事長と高校で同級生だった野村證券OBをアドバイザーに迎えたことがきっかけだった。

野村OBでその後にSCSK企業年金基金で年金実務の経験もあった杉山弘實氏が独立して東京都内で「杉山年金運用研究所」を始めたのは00年。2年後、同社は九州石油業厚生年金基金とコンサルティング契約を結んだ。当初の年間報酬額はわずか50万円だった。

 杉山氏はさっそく基金の資産の4割近くを占めていた国内債券を売却して、J‐REITやタワー投資顧問への投資にスイッチさせるなどした。基金で実務を担う常務理事には社会保険庁OBが天下りしていたが、しょせんは投資の素人。杉山氏の発言力はみるみるうちに増していくこととなる。

 そんななか、04年7月の資産運用委員会で杉山氏はダヴィンチを紹介するのだが、そのやりとりはこんな具合だった。

 ダヴィンチ社員「手前どもが大幅にリストラクチュアリングを行ってコストを低めた物件でございますので、この差額、共益費の差額に関してはファンドの収益として上がるということでございます」

 杉山氏「えらく稼ぎがいい」

 ダヴィンチ社員「ありがとうございます」

 そして杉山氏は他の不動産ファンドと比較してダヴィンチをこう持ち上げた。

 杉山氏「だからケネディ(筆者注、ケネディ・ウィルソン・ジャパンのこと、現ケネディクス)は経営者が三菱商事出身。日本人。ダヴィンチはさっき言ったようにアメリカで不動産をやって……日本で会社をつくって、やったような会社。両方、日本人ではあるのだけれど、ケネディは大手商社出身、片一方はたたき上げ。この差ですよ」

 4カ月後、九州石油業厚生年金基金はダヴィンチの3号ファンドに50億円の投資を決める。そして多額の投資を次々と決めていった。翌05年3月にはオフィス・ファンドⅣに45億円、わずか1カ月後には再び3号ファンドに50億円、翌06年2月には4号ファンドに150億円、同年12月には同じく150億円、さらに翌07年3月にはオフィス・コア・ファンドⅠに62億円を投じることを決めた。「不動産ファンドではダヴィンチにしか投資しない」――。杉山氏は基金に対しそう言い放っていた。最終的に投資額は計507億円にも上ったのである。

リーマンショックで大打撃

 じつはその裏でダヴィンチは、杉山年金運用研究所との間で販売協力などに関するコンサルティング契約を結んでいた。ダヴィンチのファンド商品を成約させるごとに、その額の1%を報酬として支払うとの内容だ。つまり基金側に立って助言を行うはずの杉山氏は、基金にダヴィンチ商品を買わせれば買わせるほど儲かるという構図だったわけである。これほど明らかな利益相反行為はない。他方で杉山氏が基金から受け取る報酬も最終的には年1200万円まで増額された。

 問題のコンサル契約が結ばれたのは、04年6月30日、基金の資産運用委員会にダヴィンチ社員を初めて連れて行く1カ月足らず前のことだった。金子氏が杉山氏と初めて会ったのはその年2月のことだったという。

 ダヴィンチは07年までに主に成約額比例報酬として5億5800万円もの報酬を杉山氏に支払った。さらに08年7月には契約を改定、年額1億円の固定報酬とし、翌月には消費税を上乗せした額を気前よく支払っている。契約改定の2週間前、九州石油業厚生年金基金は5号ファンドに100億円を投資することを決めていた(その後の不動産市況悪化で投資は実行されなかった)。

 周知のようにその直後、リーマンショックが発生。米国から押し寄せた不況の波は日本の不動産ミニバブルを粉々に破壊し、ダヴィンチのファンド群も大打撃を受けた。九州石油業厚生年金基金が投資したファンドも最初の3ファンドこそ多額の利益をもたらしたが、06年以降の2ファンドは壊滅的な結果。損失額は約263億円にも上った。

 リーマンショック後の09年4月、杉山氏は脳梗塞に倒れ死亡。先述のようにダヴィンチは上場廃止。そして九州石油業厚生年金基金は15年7月に解散へと追い込まれた。 

逆転敗訴、1億円支払い命令

 解散前、基金は損害を回復するため関係先を提訴した。最初は年金信託契約を結んでいたりそな銀行。同行はダヴィンチ導入にも一役買っていた。もっとも裁判は二審まで争われたが、16年5月までに基金側の敗訴が確定する。

 基金が14年8月に2件目の提訴先としたのはダヴィンチだった。きっかけは、りそな銀訴訟の最中、その年初め頃に問題のコンサル契約の存在が明らかになったことだった。ダヴィンチが不法行為に加担したと見て提訴に及んだわけだ。さらに15年12月、代表取締役だった金子氏の責任を問うべく10億円の損害賠償を求めて訴訟を提起した。

 ただ、ここでも基金側の主張はなかなか裁判所に届かなかった。金子氏を相手取った裁判で東京地裁の判決が下ったのは昨年9月。問題の利益相反行為は「自由競争として許される限度を超え、社会的相当性を逸脱したものとは評価できない」とされた。ダヴィンチを相手取った訴訟も今年2月に基金側敗訴の一審判決が下っている(控訴せず確定)。

 金子氏を相手取った訴訟で東京高裁(野山宏裁判長)は今年1月に口頭弁論を1回開いただけで、新たな事実審理もなく、そのまま結審とした。しかし意外にも4月11日に出された判決は一審判決と180度異なる内容。基金側が主張する被害額を9割方認め、金子氏に1億円の支払いを求めたのである(控訴時に請求額が1億円に減額されていた)。

「(基金の役員は)投資リスクを説明してもすぐに忘れる程度の投資運用の素人レベルの知識しかなく、杉山の影響力を使えば赤子の手をひねるように騙せる相手であることを実感していたものと推認される」

 そう指摘するなど、判決は随所で杉山氏やその利益相反行為を唆した金子氏の狡猾ぶりを厳しく指弾していた。野山裁判長は昨年11月、中国産米をめぐる週刊誌記事の名誉毀損訴訟で提訴した大手スーパーに対し「訴訟を起こして言論や表現を萎縮させるのではなく、良質の言論で対抗することで論争を深めることが望まれる」とし、一審の賠償額を大幅に減額した二審判決を下したことで知られる。

 思いがけない二審逆転敗訴に対し金子氏は上告中。重い十字架を背負うことになった同氏がLCホールディングスでどのような経営を行うのか注視したい。
(文=高橋篤史/ジャーナリスト)

高橋篤史/ジャーナリスト

高橋篤史/ジャーナリスト

1968年生まれ。日刊工業新聞社、東洋経済新報社を経て2009年からフリーランスのジャーナリスト。著書に、新潮ドキュメント賞候補となった『凋落 木村剛と大島健伸』(東洋経済新報社)や『創価学会秘史』(講談社)などがある。

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