ドン・キホーテ 、連続放火にオリジン買収など流通界の異端児…創業者が8年ぶりに社長復帰
見えるのが、件のコースター。
(撮影:Momotarou2012
「Wikipedia」より)
ディスカウントストア大手、ドン・キホーテ(以下ドンキと略)の創業者である安田氏は、流通業界に風穴を開けた風雲児である。半面、既存秩序を崩す希代のトラブルメーカーでもあった。店舗の周辺住民と、紛争やトラブルが絶えなかった。新しい店を出店するたびに、深夜営業に抗議する住民の出店反対運動が起きた。東京・六本木店の屋上に設置した絶叫マシーン「ハーフパイプ」の開業は、騒音を懸念する地元住民からの猛烈な抗議運動の前に断念に追い込まれた。
●ドンキ連続放火事件
ドンキ・バッシングが頂点に達したのが、埼玉県さいたま市内にある店舗で相次いだ連続放火事件だった。放火されたドンキは被害者だったにもかかわらず、安田氏に非難の矛先が向かった。
2004年12月13日のドンキ浦和花月店での放火は店員3人が焼死、8名が負傷する大惨事となった。この時は、寝具売り場で火事が発生。またたく間に商品へ燃え移り、店は全焼した。一度は店内から脱出したものの、「来店客が逃げ遅れていないか」の確認のため、再度、店に戻った3人のアルバイト店員が焼死した。
安田氏は80年9月、ドンキの前身のジャストを設立。少量多品種の商品を安く仕入れ、デフレ経済のもと「低価格」「圧縮陳列」「深夜営業」を武器に急成長した。その原動力になったのが店舗全体をアミューズメント・パークのように演出する手法。店内には食品や日用品、時計・宝飾品、家電製品など約4万点を陳列。商品を天井近くまで積み上げた迷路のような店内で、欲しい商品を見つけ出すイベント性が、若い客から支持を得た。
しかし、この大量の商品をジャングルのようにうず高く積み、陳列棚で通路を迷路のようにする「圧縮陳列」が、火災で店員が逃げ遅れた原因とみられたのだ。連続放火事件を受けて東京消防庁が都内のドンキ31店で実施した立ち入り調査でも、商品が通路をふさぐなど、計195件の消防法違反が指摘された。創業者の安田氏は、火災への対応を終えた後に、責任を取って社長を辞任。05年9月に会長に退いた。
連続放火事件では、精神疾患で通院歴がある元看護師の女が逮捕された。ドンキ3店、スーパー4店の7件の放火容疑だ。女の責任能力の有無が争点になったが、裁判所は女の責任能力を認め、08年11月、無期懲役の刑が確定した。
連続放火事件をめぐっては、詐欺事件も起きた。ドンキの元常務が遺族対応のコンサルタント費用名目で同社から3100万円を騙し取り、詐欺罪で逮捕された。11年10月、懲役3年6月の実刑判決を受けた。
●オリジン東秀乗っ取り事件
安田氏は経営の第一線から身を引いたが、事業欲が衰えることはなかった。ネットバブル前夜、若いベンチャー起業家の集まる投資クラブ「B&Bの会」で鍛えた安田氏は、無類の株好きだ。弁当・惣菜チェーン、オリジン東秀(東京都調布市)の敵対的買収で経済界を賑わした。
05年8月、オリジン東秀で経営陣と創業者遺族の間で内紛が勃発した。ドンキの安田社長(当時)が創業者遺族からオリジンの株式23.62%を取得、オリジン弁当を組み込んだ次世代コンビニエンスストアの事業化を提案した。しかし、オリジンの経営陣が、この提案に消極的だったため、ドンキは06年1月15日、オリジンに対するTOB(株式公開買い付け)を発表した。
敵対的TOBに、オリジンの取締役会と従業員は反対を表明。ホワイトナイト(白馬の騎士)として名乗りを上げたのが小売業大手のイオングループだった。イオンは1月31日から1株3100円で友好的TOBを実施。イオンが提示したTOB価格がドンキより1株300円高かったことから、2月9日、ドン・キホーテのTOBは不成立に終わった。
ところが、これにて一件落着とはいかなかった。ドンキが奇襲をかけたのだ。市場でオリジン株を追加取得して47.82%まで買い増した。この株式取得をめぐっては、証券市場から、灰色手法とのブーイングが浴びせられた。