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『高嶺の花』もはや野島伸司氏がどこまでダメな脚本を書くかを楽しむドラマに

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 石原さとみ主演の連続テレビドラマ『高嶺の花』の第4話が1日に放送され、平均視聴率が前回から1.0ポイント増の9.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。野島伸司氏が脚本を手がける同ドラマは、華道の名門に生まれ、圧倒的な才能と美貌を兼ね備えた月島もも(石原)と、お金も地位もない自転車店主・風間直人(峯田和伸)が繰り広げる「怒濤の純愛エンターテインメント」という触れ込みだ。

 ただ、実際にはいいところを探すほうが難しいようなダメドラマになっており、『アンナチュラル』(TBS系)の好演で注目を浴びた石原さとみを主演に据えて、高視聴率を狙おうとの日テレのもくろみは、完全に外れた格好だ。

 さすがに制作陣にも危機感を持ってほしいところだが、第4話の冒頭でいきなり「ダメだこりゃ」と思った。「峯田が気持ち悪い」「石原さとみがかわいそう」と視聴者から集中砲火を浴びた第3話ラストのキスシーンを再び流したのだ。

 この件はプチ炎上したのでご存じの読者も多いと思うが、一応さらりと説明しておくと、女性と付き合った経験がないはずの直人が、ももにいきなりキスされるという設定なのに、石原の唇が触れる瞬間に峯田が自分の唇をハムッと動かして迎えに行ったという“事件”。筆者もリアルタイムに視聴して「なんだこれ」と違和感を覚えたし、少なからぬ視聴者が「生理的に無理」「ぞわっとした」など、峯田本人に嫌悪感を抱いてしまったようだ。

 制作陣だって、視聴者の反響を知らないわけがない。それなのにあえて炎上したシーンを再び最新話の冒頭に差し込むとは、自ら視聴者を手放していると言われても仕方がないのではないだろうか。あまりにも危機感が欠けている。

 第4話の本編も意味不明なシーンばかりで、ツッコミが追い付かないほど。なかでも、家元(小日向文世)が入浴中の妻・ルリ子(戸田菜穂)に「立って見せてくれ」といきなり声を掛け、裸体をいちべつして「何かの抜け殻のようだ。空っぽの」と評した場面は、このドラマでも屈指の迷シーンになりそうなヤバさが漂っていた。妻の浮気に薄々感づいたことを示す場面だったのだろうが、そこまで変態チックにする必要があるのだろうか。

 直人にそそのかされて日本一周に出かけた中学生が、岩の上に咲いた花に手を伸ばして転落した場面についても、真意がわからずモヤモヤする。直人の心情とリンクした描写であることはわかるのだが、中学生との交流を通して直人を描きたいのか、中学生自体に意味があるのかがいまだにわからない。「謎めいていて真相が気になる!」と思わせてくれれば良いのだが、いつもあと一歩描き込みが足りないせいで、脚本の野島伸司氏の「自分だけわかっている感」が透けて見え、「視聴者にわからせる気がないのならどうでもいいわ」と感じてしまう。

 いつも「お金がない」と気にしている直人が、ももの勤めるキャバクラに足しげく通うのも矛盾しているし、視聴率稼ぎのために石原にキャバ嬢姿をさせたいんだろうな、との感想しか出てこない。華道の神髄が「たゆたう光と影」だとかいう芸術論をしつこく繰り返すのも、ものすごくどうでもいいし、「もう一人の自分」が見えないと家元にはなれないという謎の設定も、正直ついていけない。

 家元を目指し始めたなな(芳根京子)が会話の途中で勝手にキレ出し、「バカにしないで」「みんな大っ嫌い」とももを罵倒し始めたのもわけがわからなかった。これについては、家元が「家元になりたいなら姉を憎め」と指示していたことが判明したが、娘が不幸になることを承知で家元の座に就けようとするルリ子を含め、登場人物がみんなクズばかりになってしまった。これは少々安易な手法だ。何をしでかすかわからない人間ばかりを登場させていれば、どんなに整合性の付かない展開も「あり」になってしまうからだ。

 案の定、早くも「なんでもあり」の展開が飛び出した。これまでは脇役だと思われていた月島家の運転手・高井雄一(升毅)が、実はももの父親であることが終盤で明かされたのだ。これを受けて、視聴者からは「韓国ドラマみたいだな」「ももと直人がきょうだいだという設定もありか」「後出しが過ぎる」という批判が噴出した。ドラマの展開としてもプラスには働かないはずだ。現状でもすでに月島家内部のドロドロとした争いがストーリーの中心となってしまい、ももと直人の恋愛はおまけ程度の扱いになっているのに、これにさらに余計な要素を足してどうするのか。

 第4話ラストで、ももは自分の部屋に直人を迎え、和服を脱いで自分から直人を押し倒した。2人が男女の関係となったことで、一応恋愛ドラマとして進展しているようにも見えるが、そのきっかけが「相手にされたらいやなことを、どうして自分はできます?」という直人の一言に心を動かされたから、というのがヤバすぎる。そんなものは2000年前に孔子やキリストが言っている。そもそも、一応恋愛ドラマなのに全然キュンとしない。

 もはや、「野島伸司がどこまでダメな脚本を書くのか」を楽しむドラマと化している観があるが、そうは言ってもまだ序盤である。もしかしたら、このまま韓国ドラマ路線に振り切ったほうが、一定の視聴者層を確保できるのではないだろうか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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