
イエス・キリストが生まれた年を起点に、西暦は数えられています。聖誕の翌年が西暦1年とされていますが、西暦0年は存在しないので、キリストは紀元前1年生まれとなります。この「紀元前」を表すために「BC」という略称を使うことがありますが、これは“Before Christ”(キリスト以前)の頭文字です。紀元後を表す「AD」はラテン語の“Anno Dimini”の頭文字で、「主の年に」という意味です。「主」とはキリストを指し、「キリスト紀元」と訳すことができます。
このキリストを境とすることは、ヨーロッパでは死後の世界でも重要な要素となります。イタリアの文豪ダンテの代表作『神曲』を読むと、ギリシャの大哲学者ソクラテスやプラトンも、多くの罪人たちと一緒に地獄で苦しんでいる様子が描かれています。彼らが罪を犯したわけではないにもかかわらず地獄に堕とされるのは、残念ながらキリスト生誕の前に生まれたので「洗礼」を受けていないからとなっています。
そんな死後の世界にも大きな影響を与えているキリストの聖誕ですが、実際に生まれたのは紀元前4年というのが最近の定説になっています。誕生の様子は、聖書のなかの「ルカによる福音書」によると、母マリアが天使からお告げを受けて処女懐妊し、現在のイスラエル・パレスチナ自治区にあるベツレヘムで産気づいたが、誰も家の客間に入れてくれず、馬小屋で産み、飼い葉桶に寝かされたとあります。なんともひどい出産ですが、今ではこの日をクリスマスとして世界中でお祝いしています。
ところが、クリスマスが12月25日というのも、疑問視されています。たとえば、現在のベツレヘムの天気予報を見てみると、今月25日の夜は7度まで下がるとの予測が出ています。中東であっても標高750mのベツレヘムの冬は寒くなるのです。聖書では、野宿をしていた羊飼いが、天使から「今日、あなたがたのために救い主(キリスト)がお生まれになった」と伝えられたとの記述がありますが、そんな寒い冬の夜に、羊を放牧するだけでなく野宿までするのはおかしいとの指摘もあり、最近では5月頃に生まれたとの見解が有力視されています。
キリストにまつわる“聖遺物”の数々
そんな生まれたばかりのキリストが寝かされていた飼い葉桶の一部とされる木片が先月30日、クリスマスを目前にイタリア・ローマからベツレヘムに里帰りしたと報じられました。長さ2.5センチほどの小さな木片ですが、キリストの存在を示す貴重な“聖遺物”としてAD640年頃に、当時のエルサレム総主教がローマ教皇テオドルス1世に贈ったもので、これまでバチカンのローマキリスト・カトリック教会で大切に保管されていたのです。
それが大きく動いたのは昨年のことでした。バチカンのローマ・カトリック教会を訪れたパレスチナ自治政府アッバス議長が、フランシスコ教皇に会うという歴史的出来事の際に、飼い葉桶の木片をベツレヘムに返してほしいと要請し、それに教皇が平和の象徴として応えたのです。中東戦争の原因となり、その後も紛争が絶えなかったイスラム教徒が大多数を占めているパレスチナ。そのパレスチナ自治区内のベツレヘムに、キリスト教徒にとって大切な聖遺物を送ったことは、単なるクリスマスプレゼントではなく、歴史的にも重要な出来事です。