中国が熱帯低気圧による長雨の影響で、80年に一度という大洪水に見舞われている。洪水は5月末から激しさを増し、6月7日には土石流で安徽省の2つの村が丸ごと水没して消えたという。被害はすでに26の省、自治区などにおよび、被災住民は1122万人に達している。
1931年には死者13万5000人・流出家屋200万戸、1954年には死者3万人・流出家屋100万戸の被害が出るなど、長江(揚子江)は過去何度も大洪水を起こしてきた。洪水を防ぐためのダム建設は長らく中国の悲願だったが、内戦や文化大革命などもあり、なかなか実現せず、再び国家プロジェクトとして復活したのは文革終結後であった。
建設予定地は風光明媚で三国志の史跡も多い長江三峡の最も下流の西陵峡半ば。当然、巨大ダム建設とあって反対する声も多く、完成すれば世界最大となる三峡ダム建設計画はなかなか進展しなかった。最終的にゴーサインを出したのは、当時中国共産党総書記だった江沢民である。天安門事件で反対派を押さえ込むと、1992年の全人代(出席2633)で賛成1767、反対177、棄権664、無投票25で採択されたが、これは全人代で過去最低の賛成数だったという。
着工は1993年。ダム本体工事は2006年に完成した。しかし、その完工式に中国最高指導部の出席者は一人もいなかったという。当時の国家主席、胡錦濤は清華大学水力エンジニアリング学部卒で水理学が専門。首相だった温家宝も北京地質学院卒で地質学が専門。江沢民なきあと責任を取らされてはかなわない。2人の目には、賄賂まみれの三峡ダムの危うさもすでに見えていたのかもしれない。
水力発電設備も含めた全体工事は2009年に完成したが、軟弱な地盤に加え手抜き工事も指摘され、2008年にはコンクリートのダム本体に1万カ所以上のひび割れが見つかり、水理と地質の専門家に「持って10年」と酷評された。総工費2000億元(約3兆2000億円)を投じた国家プロジェクトだったが、三峡ダムの完成後も長江中下流域では何度も洪水被害が発生しており、洪水を防止するどころか、ダム本体が決壊しかねない最悪の状況なのだという。衛星写真で2009年の完成時と2018年のダムを比べ、ダムに歪みが生じていると指摘されたが、中国政府は「数センチ程度」と黙殺した。
新たな伝染病が発生する可能性も
三峡ダムの警戒水位は145メートルだが、現在すでに147メートルとそれを2メートルも超えており、中下流域で洪水が発生しているにもかかわらず、ダムからは大量の水が放水され続けている。今年で完成から11年。もし決壊したらどうなるのか。三峡ダム決壊の模擬分析をした中国人の水理学の専門家は香港大紀元時報の取材に次のように述べている。
「長江の中下流域は中国の人口密集地であり、逃げる場所はどこにもありません。決壊した場合、真っ先に影響を受けるのはダム下流の宣昌市で、次が岳陽市と武漢市、最後が南京市と上海市ですが、それらはみな中国経済のなかで最も発展している地域なので、結果は悲惨なものになるでしょう」
長江下流から上海市までの人口は6億人。中国GDPの6割を占める最重要地域だ。三峡ダムの有効貯水量は221億5000万立法メートル。しかも、その水には上流にある重慶市の工場排水や生活排水も流れ込んでいるという。
ダムに最も近い人口70万の宣昌市は全滅、さらに新型コロナウイルスが蔓延した武漢市を飲み込み、南京市から上海市まで水は津波のように押し寄せ、大量のがれきが日本海にまで達するという。農作物も全滅し、被災地は衛生状態も悪化、新たな伝染病が発生する可能性もある。
それに加えて、海路パキスタンから上海に輸送されたコンテナからサバクトビバッタが見つかった。中国でも蝗害が発生したら、影響は日本にまで及びかねない。三峡ダム決壊に加え、イナゴまで大発生となれば、中国は壊滅的被害を被ることになる。
(文=兜森衛)