五代目山健組若頭が逝去…神戸山口組離脱を牽引した武闘派組織の今後の画像1
逝去した健竜会・西川良男会長

 1990年~2000年代前半まで隆盛を誇った五代目山口組体制の中でも最大勢力を誇ったのが、現在は山口組とは袂を分かち独立路線の歩みを続ける山健組であった。

 その山健組の中で保守本流といわれてきたのが、渡辺芳則・五代目山口組組長が発足させた健竜会である。健竜会の傘下組織には“山口組最強の四次団体“と言われ一世を風靡した三島組などがあり、初代からの伝統は、六代目山口組体制の今日まで脈々と受け継がれている。

「健竜会の代をとった親分は、その後、山健組組長へと昇進しており、神戸山口組の井上邦雄組長もかつて健竜会の四代目を務めてから、山健組の組長に就任しています。同じく社会不在を余儀なくされている五代目山健組のトップである中田浩司組長も健竜会の五代目を務めていました。山健組の中にあっても、健竜会はそれだけ特別な組織ということです」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)

 そんな巨大勢力である山健組が大きな動きを見せたのは、四代目・井上組長体制のときと。同組が中心となり、六代目山口組を離脱し、他十数団体と神戸山口組を結成。ここが今もなお続く、山口組の分裂問題の始まりとなったのだ。

 井上組長が神戸山口組組長を兼務するようになると、その後、山健組の五代目を同組で若頭を務めていた五代目健竜会・中田会長に譲り、同時に六代目健竜会会長には、五代目山健組の西川良男若頭が就任したのだった。

 そうして門出をきった五代目山健組に衝撃が走ったのは、2019年のこと。六代目山口組傘下の組員に自ら銃弾を浴びせ、重傷を負わせたとして、中田組長が逮捕されてしまったのだ。その衝撃は、それだけに留まらなかった。今度は、神戸山口組の最大勢力であった山健組が、拘束中の中田組長の意思のもとで、神戸山口組を離脱することになったのだ。ここに山健組の苦悩が生じることになったのではないかと言われている。

「なぜならば、神戸山口組のトップは四代目山健組を務めた井上組長で、その井上組長から五代目を継承したのが、離脱した中田組長率いる五代目山健組だったからだ。言うなれば、井上組長と中田組長が袂を分かったのだ。そうして、五代目山健組は、神戸山口組に残留を決めた山健組勢力と、神戸山口組を離脱した五代目山健組に分かれることになった。だが実際は、神戸山口組を離脱した五代目山健組勢力が数の上でも上回ることになった。その筆頭格にあったのが、中田組長から絶大な信頼を受け、五代目山健組で若頭を務める、六代目健竜会の西川会長だった」(事情通)

 しかし、その西川会長が新型コロナウイルスに感染したことから体調を崩し、持病が悪化。闘病生活の末に6月6日未明に他界することになったのだ。

「他界した西川会長は、中田組長の留守を守り、山健組を支え続けていた。人望もあり、今後を期待されていた親分だっただけに、業界内でも西川会長の訃報に大きな波紋を呼んでいる」(某組織幹部)

五代目山健組若頭が他界したことで、今後の山健組の動向に業界内では注目が集まっている。

(文=山口組問題特別取材班)

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