ソニーが再び“夢を語る”時代がやってきた……。“ソニーカー”の誕生がウワサされているのだ。「VISION-S」がそれだ――。
じつは、「VISION-S」のルーツは、はるか昔だ。1960年代、ソニーは電気自動車の研究をスタートさせている。
「これからは電気自動車の時代です」
ある日、ソニーの電池技術者が創業者の一人である井深大に提案をもちかけた。
「そうか。よし、やろう」
井深は即答した。まだ、EVという言葉が聞かれなかったころの話である。彼は、既存の枠にとらわれずに技術を見る。子どものようにピュアな心で、無邪気に技術に向き合うのが、真骨頂だ。ソニーのもう一人の創業者である盛田昭夫は、日頃から「井深さんの夢を叶えるのが、僕らの仕事だった」と語っていた。ところが、こと電気自動車の研究については悲観的だった。とてもビジネスにならないと、盛田は井深を引き留めた。
断るまでもなく、ソニーには自動車のエンジニアもいなかった。自動車開発の素人集団のソニーが、電気自動車をつくれるはずがない。しかし、そんなことであきらめる井深ではなかった。大手自動車メーカーから車体の設計ができるエンジニアを引っ張ってきて、1961年、横浜市保土ヶ谷に設立されたばかりの中央研究所で研究を始めたのだ。
井深が楽しそうに電気自動車の試作車のハンドルを握る写真が、井深の著書『ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる』(サンマーク出版)に掲載されている。遊園地などにある屋根のないゴーカートのような一人乗りのクルマである。残念ながら、当時のモーターや電池の技術では、本格的な電気自動車の実現はムリだった。日本のマイカーブームの到来は、その後のことである。
トヨタが小型大衆乗用車「パブリカ」を発売したのが、1961年である。そして、交通事故や排気ガスによる大気汚染など、自動車の普及にともなうさまざまな社会課題が浮上するのは、70年代に入ってからだ。いくらなんでも、早すぎた。ソニーは、電気自動車の技術と特許を売却した。
井深は当時、「最後はバッテリーが課題になるだろう」と明言していたという。考えてみれば、ソニーは今日、電気自動車を支えるリチウムイオン電池を最初に実用化したメーカーである。1970年代中頃に基礎研究を始め、91年に量産化した。残念ながら、電池事業は2016年、村田製作所に譲渡されたが、ソニーは二次電池開発のパイオニアであるのだ。
クルマの未来の“先の先”を見ていた井深とホンダ
井深には、もう一つ、クルマにかかわる話がある。彼には40年来の友人がいた。ホンダ創業者の本田宗一郎である。「私にとっては、かけがえのない兄貴であり、先輩でありました」と、井深は語っている。